スペインの中でもケルト文化圏にあり、「異邦の地」とも称されるガリシア州の文化と食について、その歴史も振り返りながら紹介していきます。

ガリシア州とは

ガリシア州(Galicia)はスペイン北西に位置する自治州で、広さは九州を一回り小さくしたくらいの大きさです。南はポルトガル、東はアストゥリアス州(Principado de Asturias)とカスティーリャ・イ・レオン州(Castilla y León )北と西は大西洋とカンタブリア海に面した1,200m以上に及ぶ海岸線です。

年間を通して穏やかな気候で、最も寒くても8度以下になることがほとんどありません。1年を通して雨が降り、年間降水量も豊富。また、入り江が多く複雑な海岸線を持ち、「リアス式海岸」の語源はガリシア語の「リアス( Rías、入江の複数形)」にあります。

ガリシア州はア・コルーニャ(Provincia da Coruña)、ルーゴ(Provincia de Lugo)、オウレンセ(Provincia de Ourense)、ポンデベドラ(Provincia de Pontevedra)の4つの県で構成されています。州都は古くからキリスト教の聖地とされているサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)。

ガリシア州はケルト文化圏の地域で、一時期はアイルランドやスコットランドなどの国々とともにケルト連盟に入っていた時期もあり、スペインの他の地域とは一線を画し、異邦の地、とも呼ばれています。ガリシアという地名はその地域に住んでいたケルト系民族の「ガラエキ族」に由来しています。


ガリシア州の歴史

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ガリシア地方には紀元前3000年ごろから北アフリカからイベロ族が定住していたとされています。そこへ、紀元前900年ごろ中央ヨーロッパからピレネー山脈を越え、ケルト民族が到来しました。ケルト族はイベリア半島の西部と北部、現在のガリシアとポルトガルに住み着き、その後イベロ族と混血、ケルト・イベロ人となり、現在のガリシア人へその血を残しています。

5世紀から6世紀まではスエビ王国(ガリシア王国)の中心地でしたが584年に西ゴート王に征服されます。8世紀に入りイスラム教徒に征服されたものの実質的な支配は受けないまま739年に西ゴート族とアストゥリアス人によって建国されたアストゥリアス王国によって奪還されました。その後はアストゥリアス王国を起源としたレオン王国の一部となりました。その後カスティーリャ王国に受け継がれ、1065年、初代カスティーリャ王、フェルナンド1世(Fernando I)の死後に領土が分割され、一時別の王国になりましたがすぐにフェルナンド1世の息子のアルフォンソ6世(Alfonso VI)によって統合されます。

9世紀からサンティアゴ・デ・コンポステーラでサンティアゴ(聖ヤコブ・キリストの使徒の一人)の遺体とされるものが見つかり、サンティアゴ信仰が盛んになり、イスラム教徒支配に対抗するレコンキスタ運動の中での象徴的存在となりました。そして、中世以降、数多くのキリスト教徒がヨーロッパ各地からピレネー山脈を経由し、スペイン北部を通る巡礼路を経てサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れるようになります。この人々の流入とともにこの地方にロマネスク美術が伝播し、吟遊詩人の詩や音楽が伝えられるなどの文化的な交流も行われました。また、9世紀から10世紀にかけての沿岸部はヴァイキングやノルマン人たちの襲来をたびたび受け、現在もポンテべトラ県のカトイラ(Catoira)には防衛用の塔が残っています。

スペイン語の母国となるカスティーリャ語の擁立者の一人だったカスティーリャ王、アルフォンソ10世(Alfonso X)により、カスティーリャ語が国家の言語として定められます。しかし文学に用いられる言語はガリシア語が使われました。しかしその後、カスティーリャを優位とする中央集権体制が進むにつれガリシア語はさらに廃れていきます。だいたい16世紀から18世紀半ばまではガリシア語の暗黒時代と呼ばれ、ガリシア語が書き言葉として使われる伝統は失われてしまいました。しかし、公用語として強いられるカスティーリャ語に対し、自分たちの言語としてガリシア語を認識する風潮は強く、話し言葉としての使用は廃れることはありませんでした。

それまで、ガリシアを構成していたのはア・コルーニャ(Provincia da Coruña)、サンティアーゴ、ベタンソス(Provincia de Betanzos)、モンドニェード( Provincia de Mondoñedo )、ルーゴ(Provincia de Lugo)、オウレンセ(Provincia de Ourense)、トゥイ( Provincia de Tui )の7県でしたが1833年に現在の4県に再編されました

20世紀にスペインで独裁をおこなったフランシスコ・フランコ(Francisco Franco Bahamonde )はガリシア地方フェロル(Ferrol)出身でしたが、フランコ政権時代にはガリシアも自治は失い、ガリシア語を公の場で使うことは禁じられました。1978年のスペイン新憲法によって自治州制度が導入、1980年にガリシア自治州が創設され現在に至ります。


ガリシア州の文化

ケルト文化圏にあり、スペインの中でもとりわけ異色なガリシア州の文化について紹介していきます。

カストロ( Castro)

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紀元前600年ごろから丘の上に暮らし始めた古代ケルト人が残した住居の跡をカストロと呼びます。砦としての機能を持つ石を積み上げた住居の跡からは渦巻などケルト特有の装飾模様の装飾品や水差し、人頭像などが出土されています。カストロはポルトガルも含め30数カ所が確認されていますがとくに有名なのが「ケルトの村」とも呼ばれるポンテヴェドラ県のサンタ・テクラ(Santa Tecla)です。160もの住居跡がひしめき、保存状態も良く人気の観光地になっています。


サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は聖ヤコブの遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並びキリスト教の三大巡礼地とされるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路です。主にフランス各地を始点とするものが多く、フランスからは「トゥールの道(Via Turonensis )」「リモージュの道(via Lemovicensis )」「ル・ピュイの道(Via Podiensis)」「トゥールーズの道(via Tolosana )」の主要な4本の道が走っています。スペインからはフランス国境にあるナバラ州(Comunidad Foral de Navarra)からの道である「フランスの道( Camino Francés )」が主要です。

サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペイン語では「El Camino de Santiago(サンティアゴの道)」と呼ばれますが単に「El Camino(その道)」とも呼ばれます。その歴史は813年に天使のお告げによって聖ヤコブの墓が発見されたことから始まっています。墓の上には1075年、大聖堂の建築が始まり、1211年に完成しました。

最も古い巡礼の記録は951年。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、12世紀にはその数は年間50万人を超えました。巡礼人気はレコンキスタに由来するところがあり、聖ヤコブはキリスト教国の守護聖人とされ、「Santiagos matamoros(ムーア人殺しのヤコブ)」と呼ばれるようになりました。

巡礼路はスペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐ役割も果たしました。巡礼者には建築家もおり、巡礼路沿いの都市にロマネスク建築による教会や修道院を数多く建てました。

2015年に全行程がユネスコの世界遺産に登録され、近年でも年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越え聖地を目指します。巡礼路には11世紀の礼拝堂を修復した宿泊所があり、中世さながらの「洗足の儀式」や無料での食料提供も行われています。

巡礼の終着点であるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂(Catedral de Santiago de Compostela)の入り口にある「栄光の門」の柱は、幾千万人もの巡礼者が手を触れて祈りを捧げたためくぼみができています。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂では重さ80kgもの巨大香炉「ボタフメイロ(Botafumeiro)」の儀式が行われるのですが、この儀式は元々は長い道のりを歩いてきた巡礼者たちの体臭を緩和するために始められたのだとか。


ガリシア地方のバグパイプ ガイタ(gaita)

ガイタはバグパイプの一種で、ガリシアを象徴する伝統楽器です。その起源ははっきりしたことはわかりませんが中近東から伝わったとされています。アルフォンソ10世が編纂した聖母マリア讃歌集やガリシア各地の教会の彫刻にガイタが見られることから少なくとも1000年の歴史があるとされています。

ガリシアの民族音楽はアイリッシュダンスのジグなどと共通する点の多い音楽で、ガイタの他にパンディレタというタンバリンやフィドル(バイオリン)、バイオリンに似た形で円盤を回すことで音を出すサンフォーナなどで演奏されます。


ガリシア地方のサンタクロース アパルドール(Apalpador)

アパルドールはルーゴ県東部の山の村々で語り継がれた人物です。ベレー帽を被り、古くてつぎはぎのあるコートを着た大男で普段は山にいて炭を焼いていますが秋になると栗を拾い集めます。そして、12月24日と31日の夜に村へ降りてきて寝ている子供がお腹いっぱい食べたかどうかを確かめるためにお腹をさするのです。そして、一握りの栗とプレゼントを残し、子供たちが幸福と食べ物に恵まれた新年を迎えられるように願ってくれます。


似たような伝承はバスク地方やアンダルシア州などでも見られ、古くからある冬至を祝う行事に関係していると考えられます。その後カトリックの影響で1月6日の東方の三博士(Reis Magos)の故事にならって子供たちにプレゼントをする習慣がつき、20世紀にはサンタクロースの存在がどんどん大きくなってアパルドールの影が薄くなりました。しかし、近年ではガリシア固有の文化を見直そうとする運動の中でアパルドールが取り上げられることが増えています。


ガリシア州の食

ここからはガリシア州の食文化について紹介していきます。

ポルボ・ア・フェイラ(Polbo á feira

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魚介類が美味しいガリシアで最もよく知られている料理がポルボ・ア・フェイラです。スペイン語ではタコのガリシア風、プルポ・ア・ラ・ジェーガ (Pulpo a la gallega)という名前で知られ、タベルナ(Taberna)やバル(Bar)の定番料理としてスペイン国内で広く親しまれている料理です。

柔らかくなるように冷凍、または叩いたタコを玉ねぎやジャガイモなどとともに茹で、小さく切って粗塩を振りピメントン(Pimentón、パプリカパウダー)とオリーブオイルをかけて木の器で提供されます。伝統的にタコを食べるときには水を飲んではいけないとされ、ガリシア産の若い赤ワインとともに食べるのが一般的です。

ポルボ・ア・フェイラがとくに美味しいとされているのがガリシア内陸のオウレンセ県のオ・カルバジーニョ(O Carballiño)という村です。なぜ内陸の村でタコ料理が美味しいのかというと、タコが干物として流通し、乾燥させることで生よりも味わいが深く、柔らかく調理できたことに起因しているのだそう。

また同じくポルボ・ア・フェイラが美味しいとされるルーゴ県では守護聖人San Froilán にちなんだお祭りの伝統料理になっていて、これがポルボ・ア・フェイラという料理名のもとになっています。(feiraはガリシア語でお祭りの意味)。なぜ祭りの料理になったかには諸説あるようですが、古代ギリシアから信じられているタコの精力増強作用が関係すると言われています。ガリシアにはこの料理専門の料理人もいて、通常は女性であるその料理人は「ポルベイラス(polbeiras)」と呼ばれています。


エンパナーダ(Empanada)

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エンパナーダはガリシア風パイと呼ばれる郷土料理です。ラードを練り込んだどっしりとしたパイ生地でツナやイワシ、帆立やムール貝、チョリソや豚肉や野菜などさまざまな具材を包んで作られます。

エンパナーダという料理はスペインだけではなく、ラテンアメリカやフィリピンなどでも広く食べられていてそれぞれの発展を遂げています。しかし、エンパナーダ、とスペインで呼ぶ場合はこのガリシアのエンパナーダを指し、世界的に広く見られる揚げ餃子のようなタイプはスペインでは「エンパナディージャ(Empanadilla)」と呼ばれます。

エンパナーダの起源は祭りや巡礼にあるため、春から夏にかけてノイア(Noia)、バンデイラ(Bandeira)、カラル(Carral)などの街ではエンパナーダを供する祭りがいくつも行われます。


メヒジョネス(Mejillones)

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ガリシアの複雑な海岸線を形成している岩盤質は沿岸部の漁場に美味しい水を作り、味の良い魚介類が育つには絶好の場所。そのため、牡蠣や帆立など、貝類の養殖が盛んに行われています。

メヒジョネス(ムール貝)もその一つで、質が良いことで有名です。白ワインソースの『ア・ラ・マリネラ(A la marinera)』にしたり、ガーリックチップとパプリカのソースをかけて食べたりなど、ガリシア料理の中心的な役割を果たしています。


テティージャ(Queixo Tetilla)

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その名もなんと「おっぱい」を意味する、丸みのある円錐形のチーズです。6世紀に修道院で作られていた際に型に漏斗が使用されていたことからこの形になりました。

ア・コルーニャ南部とルーゴ北部の一部の地域が主要な産地でホルスタイン種やパルド・アルピナ種(Pardo Alpina)、ルビア・ガジェガ種(Rubia Gallega)の乳牛が主に材料として使われます。クセのない牛乳らしい味わいと柔らかい質感が特徴で、酸味や塩分は控えめでねっとりとクリーミー。デザートとして食べたり、サラダに入れたり野菜の詰め物にしたり、タルトのフィリングにしたりなどとさまざまな食材によく合う幅広い用途のチーズです。


カルド・カジェゴ(Caldo Gallego)

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カルド・カジェゴはガリシアの郷土料理で、ガリシア特産のグレロ(Grelo)と呼ばれるカブの葉とキャベツ、ジャガイモや豚肉の脂身やラードなどと煮込んで作られます。とろみをつけるためにコーンミールを加えたり、豆やチョリソー、豚のスネ肉の塩漬けやベーコンなどを煮込む場合もあります。


ピミエントス・デ・エルボン(Pimientos de Herbón

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ガリシアは「スペインの食料貯蔵庫」と呼ばれ、海産物だけではなく農産物も豊富です。その中でも有名なのがピミエントス・デ・エルボン、日本ではピミエントス・デ・パルボンの名で知られているしし唐に似たピーマンの一種です。ピミエントス・デ・エルボンの名はガリシア産のものにのみ名乗ることを許された原産地呼称になります。

17世紀にメキシコからア・コルーニャ南部のパドロンの教区エルボンの修道院のフランシスコ会修道士によって持ち込まれたのがピミエントス・デ・エルボンの始まりです。18世紀には乾燥させたピーマンがエルボンで販売されていたことやパドロン種の生産方法が修道士から農家に伝えられていたことも記録に残っています。

滑らかで輝きのある緑色で肉厚が1.5mmほど、甘味の強い味わいが特徴です。時たま辛いものに当たりますが、この辛味成分は抗がん作用や鎮痛作用があるとされ研究対象にもなっています。

ピミエントス・デ・エルボンの伝統的な食べ方は油で揚げ、岩塩を振るのが一般的です。収穫時期は5月から10月31日までと定められていて、これ以外の時期に採られるものは原産地呼称を名乗ることを許されません。


タルタ・デ・サンティアゴ(Tarta de Santiago

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タルタ・デ・サンティアゴはガリシア料理伝統のお菓子です。その名も「聖ヤコブのケーキ」という意味で、サンティアゴ・デ・コンポステーラの修道院で作られたのがその始まりとされています。

砕いたアーモンドと砂糖、卵で作られた生地をシナモンやレモンピールなどで香り付けし、焼き上げます。表面に粉糖で聖ヤコブの十字のマークをかたどるのが特徴。ザクザクとした食感と素朴な味わいが、どことなく懐かしい感じのするお菓子です。


ガリシア州のワイン

ガリシア州で育てられているぶどうの種類はスペインの他の地方とは異なり、フレッシュで香り高い「海のワイン」と呼ばれるワインになるアルバリーニョ(Alvarinho)やゴテーリョ(Gotello)、黒ぶどうのメンシア(Mencia)などになります。

現在、ガリシア州のD.O.は リアス・バイシャス(D.O. Rías Baixas)、リベイロ(D.O. Ribeiro )、バルデオーラス(D.O. Valdeorras) 、リベイラ・サクラ(D.O. Ribeira Sacra)、モンテレイ(D.O. Monterrei) の5カ所です。


まとめ

スペインの中でもとくに異色なガリシア州の文化と食について、その歴史を振り返りつつ紹介しました。

太陽降り注ぐスペイン、というイメージからは少し離れたガリシア州ですが、興味深い独特の文化と美味しい食べ物に恵まれた地域です。サンティアゴ・デ・コンポステーラを歩き、リアス・バイシャスの海のワインとムール貝を味わう、そんな旅のプランを想像してみるのも楽しいですね。