地中海の宝石、バレアレス諸島・マヨルカ島の文化・食について 地中海の宝石、バレアレス諸島・マヨルカ島の文化・食について

地中海の宝石、バレアレス諸島・マヨルカ島の文化・食について

バレアレス諸島・マヨルカ島とは

バレアレス諸島はバルセロナの沖合、西地中海に浮かぶ群島で、スペインを構成する自治州のひとつです。2つの群島と多くの小島・岩礁によって構成されています。ジムネアス群島はメノルカ島、マヨルカ島、カブレーラ島、ドラゴネーラ島、クニルス島、アイレ島などで構成されています。ピティウザス群島はイビサ島、フォルメンテラ島と、周囲に位置する小島・岩礁などで構成されています。

マヨルカ島はバレアレス諸島最大の島で、年間300日が晴天という素晴らしい気候に恵まれ、スペイン王室一家もバカンスに訪れる人気のリゾート地です。青く透明な海とノスタルジックな町並の美しい風景が、数多くのセレブや芸術家たちを惹きつけてきました。古くは作曲家のショパンがその恋人の女流作家ジョルジュ・サンドと療養に訪れたことでも有名です。その美しさはときに「地中海の真珠」「地中海の宝石」などと例えられてきました。バレアレス諸島の州都パルマ・デ・マヨルカ(以下パルマ)はマヨルカ島西南部に位置します。

多様な人種や宗教が行き交った地・マヨルカ島の歴史

マヨルカ島には先史時代の紀元前6000年〜紀元前4000年頃に人類が住んでいた痕跡があります。青銅器時代には巨石記念物を含むタライオティック文化が栄え、タライオットと呼ばれる埋葬場や住居の跡が発見されています。

紀元前8世紀頃にマヨルカ島は東部地中海沿岸地方のレバントからやってきた航海民族のフェニキア人の支配化に入りました。その支配は紀元前700年頃から紀元前145年まで続き、島にやって来たフェニキア人は地中海西部で盛んに交易を行いました。ローマとフェニキア人の国、カルタゴとのポエニ戦争において投石手として戦ったマヨルカ人の存在が文献に残されています。一説ではバレアレス諸島の名称は「投石」を意味するギリシア語の「ballerin」に由来する、と言われています。

その後紀元前123年からローマによる550年ほどにわたるローマ時代が始まりました。このローマ時代の間にマヨルカ島はキリスト教化されることになります。この時代のローマ人によりマヨルカ島にオリーブやアーモンド、ぶどうの栽培や製塩の技術がもたらされました。

534年ごろにマヨルカ島はビザンツ帝国の支配下におかれ、以降500年間ほど10世紀初頭に至るまで島はビザンツ帝国領となります。ビザンツ人はバレアレス諸島にギリシア正教の教会を建てて司祭を派遣しましたが、先住島民の強化は緩やかなものだったと考えられています。

902年、マヨルカ島はムーア人によるイスラム王朝で後ウマイヤ朝時代のコルドバに併合されます。この時代、島の商工業・農業・貿易は大きく発展を遂げました。その後ムラービト朝、ムワッビト朝とムーア人の支配は続きます。特に、ムワッビト朝の時代に島は繁栄の時代を迎え、その時代のパルマは12世紀終わり頃には人口35,000を数えるように。人口規模で見ると当時のバルセロナやロンドンと同等の西ヨーロッパ有数の大都市となりました。また、ムーア人は島民の信仰については自由を許したため、当時のパルマは国際都市の雰囲気が漂っていたと言われています。

島のムーア人による支配はその後、1229年、スペインの現アラゴン州にあったカタルーニャとの連合国、アラゴン王国の侵略まで続きました。ハイメ1世の没後、アラゴン王位は息子のペドロに継がれ、その弟のハイメ2世がマヨルカ王となります。ハイメ2世の時代はマヨルカ島の黄金期と呼ばれ、農業、工業、海上交易が発達、新しい村が数多く築かれました。

その後島は再びアラゴン王国の支配に置かれます。1479年、アラゴン王国とカスティーリャ王国が統合、スペイン王国が誕生します。その後、マヨルカ島は中世からルネサンス期に地中海貿易の中継地となりました。

1715年、スペイン継承戦争に巻き込まれマヨルカ島はスペイン・ブルボン王朝に降伏、バレアレス県の一部となります。ブルボン朝の下で公用語はカタルーニャ語からスペイン語に置き換えられました。

19世紀にはスペイン独立戦争の影響で、カタルーニャからの難民が流入します。また、島にもブルジョアが誕生し、社会変革のうねりが起こり、パルマ近くの湿地帯は干拓され、新たに造成された土地は農地となりました。しかし、19世紀後半にはバレアレス諸島全体で経済は低迷、米西戦争の影響もありマヨルカ島の繁栄は終わりを迎え、多くの島民がイベリア半島本土やアメリカ大陸に移住しました。

1935年のスペイン内戦時にはマヨルカ島はフランコ体制下に置かれ、戦地となります。島での戦いはマヨルカの戦い、として知られています。1960年代に迎えた観光ブームによって州都パルマは観光都市化が進み、その後海外からの移住者も含め人口が増大していきます。

1983年、バレアレス諸島州が発足、マヨルカ島評議会が設立され現在のバレアレス諸島の自治州としての姿が確立されました。

マヨルカ島の文化

複雑な歴史を持つマヨルカ島独特の文化を象徴する建築や伝統工芸品などを紹介します。

パルマ大聖堂

1230年にマヨルカ王ハイメ1世によって建設が開始され、1601年に完成したゴシック様式の大聖堂でパルマの象徴とも言える建造物です。かつてこの場所にはモスクがあったため、イェルサレムではなくメッカの方向を向いて建てられており、島の歴史背景がうかがえる建築物となっています。

聖堂内は1,236枚ものガラスからなる世界有数規模のステンドグラスが光り輝き、世界中から大勢の観光客が訪れます。1851年の地震によってファサードが損傷しましたが、サグラダファミリアで有名なアントニオ・ガウディが補修に関わり、祭壇と天井の装飾を手掛けています。

ヨーロッパでは通常、大聖堂は街の中心に建てられますがパルマ大聖堂は街を囲む城壁の一部として堅牢な造りになっています。祈りの場としてだけではなく城塞としても機能し、北アフリカなどからの外敵に睨みをきかす存在だったのです。

アルムダイナ宮殿

もともとはイスラム支配の時代の要塞だったものをハイメ2世がゴシック様式の宮殿に建て替えたのがパルマ大聖堂の隣に位置するアルムダイナ宮殿です。宮殿は内部まで見学が可能で、12世紀まで流行したロマネスク様式の礼拝堂などを見ることができます。この宮殿はスペイン最古の宮殿だと言われています。

ベルベル城

ヨーロッパに4つ現存している円形城の1つがパルマにあるこのベルベル城です。1300年、マヨルカ王ハウメ2世によって建設が開始されました。マヨルカ王の防御戦略として計画され、王宮以外にも避難場所や長期・短期の一時滞在場所として建てられました。ベルベル城は14世紀のマヨルカ王家の崩壊とともに20世紀まで刑務所として使用されてきました。スペイン内戦時に800人もの囚人が収容されていました。現在は歴史博物館として用いられています。

外壁の特徴はパルマの中世建築に頻繁に見られるアーチ型のマリオン窓で、柱で区切られた2つの半円形アーチで構成されています。

トラムンタナ山脈

マヨルカ島の1/3を占めるトラムンタナ山脈とは2011年に世界遺産に登録された文化遺産です。山脈が多く農業には適さない土地だったところを、キリスト教徒たちが角度のきつい山を切り開き石段や段々畑を作りました。その後、ムーア人の支配時代に配水システムが作られ、近代まで時代とともに少しずつ農地として洗練されていったのがこのトラムンタナ山脈なのです。

現在ではこの地ならではの地中海性気候で作られたオレンジやオリーブ、ブドウなどの作物は評価が高いものとして知られています。

山脈にはソーリェル鉄道というスペイン最古の木造登山鉄道があり、ゆっくりと山脈の光景を楽しむことができます。

マヨルカ・Pórtol(パルトル)の陶器

陶器はマヨルカ島に欠かせない工芸品の一つです。島では『Greixoneres(グライショネレス)』という特有のキャセロール(厚手鍋)を使います。マヨルカ陶器の産地として有名なのが、パルマ近郊のパルトルです。パルトルでは赤い色の伝統的なグライショネレスだけではなく、色鮮やかで洗練されたデザインの製品も作られています。

伝統織物『イエンゴス)』

マヨルカ島の伝統織物イエンゴスはアジア発祥の絣織『イカット』がシルクロードを渡って伝わり、現在にまで継承された文化遺産です。色鮮やかでハリがあり、丈夫で肌触りの良いイエンゴスは人気の土産品となっています。

マヨルカ島の食

海に囲まれたマヨルカ島ではありますが、トラムンタナ山脈の恩恵もあり山の幸を用いた料理が伝統食として有名です。数々の国に支配された歴史の中で、フェニキアやギリシア、フランスなどからあらゆる影響を受けた島独特の食文化を築いています。そんなマヨルカ島の食を象徴する料理をいくつか紹介します。

『ソブラサダ』

マヨルカ島の名物料理といえばこのソブラサダです。豚肉、豚の脂身、塩、黒胡椒、パプリカを材料としたパプリカの赤が特徴的なペーストです。腸詰にして熟成させて作られ、中身をスプーンなどで取り出してパンなどに塗るのが一般的な食べ方です。はちみつやチーズを一緒に乗せたり、クリームチーズを混ぜ込んだりすることもあります。膀胱や胃に詰めたラグビーボールほどもある大きさのソブラサダもあります。

『エンサイマーダ』

エンサイマーダはマヨルカ島の伝統的なペイストリーです。その発祥は不明ですが、ムーア人の支配時代、もしくはユダヤ人に関連しているとも言われています。初めて文献に登場するのは17世紀に遡り、長年にわたってこの島で愛されているペイストリーです。

エンサイマーダは「豚のラード」という意味を持ち、小麦粉、砂糖、水、卵、イースト、そしてラードをたくさん入れて作ります。ふわふわ、サクサクの食感を出すために、薄く伸ばした生地をクルクルと棒状に巻き、さらにそれをねじり、渦巻き状に巻いて焼き上げます。

『パナダス』

パナダスはスペイン料理の『エンパナーダス』のマヨルカ版です。マヨルカ島ではパスクア(復活祭)に欠かせない伝統食です。

エンパナーダは小麦粉や卵、ラードなどで作られた生地の中に具が入ったパン、もしくはペイストリーで、ウマイヤ朝時代にスペインとポルトガルに普及した塩味のペイストリー『muaajanat』、もしくはインドのサモサが起源とされています。スペインやポルトガルだけでなく中南米・南米諸国に伝わり、それぞれ独自の形で定着しています。

スペインのエンパナーダは三日月型で具材は野菜が一般的ですが、マヨルカ島のパナダスは円形で高さがあり、具材は肉類や魚類がメインです。パルマでは砂糖を入れた甘い生地のものも見られます。

『ソパ・マヨルキーナ』

細かく刻んだパン、細切れ肉、野菜などが入ったスープ、ソパ・マヨルキーナはマヨルカ島特有の料理です。スープと名付けられてはいますが、汁気は少なめでどちらかといえば野菜の煮込み、といった感じの料理です。冬は温まるために少し汁気を多くし、熱々を頂くのだとか。前述のグライショネレスで調理し、そのままテーブルに出されます。

『パンボリ』

パンボリとはスペイン本土では『パン・コン・トマテ』と呼ばれる、パンにトマトを付け、オリーブオイルと塩を塗ったカタルーニャ発祥の料理です。非常にシンプルな料理ながら、オリーブや塩で有名なマヨルカ島のパンボリは特に美味しいと評判です。

パンボリに使われるトマトはラメネット種で、チーズや生ハム、ソーセージなどをのせて頂きます。パンはマヨルカで「農民のパン」と呼ばれる塩を入れない硬めのパンが使われます。このパンの伝統的なレシピでは未精製の小麦を使用します。マヨルカ産の小麦の味がしっかりと味わえるパンの美味しさも、パンボリの評判の高さの理由なのでしょう。

『トゥンベッ』

トゥンベッはラタトュイユのような料理で、ジャガイモ、ナス、赤ピーマンなどをオリーブオイルで煮込み、トマトソースをかけて作られます。野菜のみの料理ですが、こちらもマヨルカ島産の素材の良質さが際立つ滋味深い料理です。

『ガト・ダ・マトラ』

アーモンドを使ったケーキ、ガト・ダ・マトラはマヨルカ島伝統のお菓子です。素材は小麦粉と砂糖、卵とシナモン、それにアーモンドだけ、というシンプルなもの。こちらも島伝統のアーモンドアイス『グラニザッ・ダ・マトラ』を添えて頂きます。

マヨルカ島の代表的な農作物はオリーブと並びアーモンドも有名で、マヨルカ島は最高級とされている『マルコナアーモンド』の産地としても知られています。島にはローマ時代からアーモンド栽培の歴史があり、生産量世界一のアメリカへ運ばれたアーモンドの苗木は実はマヨルカ島から運ばれたものでした。

『クアルト』

クアルトはマヨルカ島独特の素朴なお菓子です。材料は卵、砂糖、デンプン粉のたった3つのみ!甘さは控えめでふわふわの食感が特徴、夏はグラニザッ・ダ・マトラ、冬はホットチョコレートが添えられます。

マヨルカ島のワイン

マヨルカ島には非常に長いワインの歴史があり、フェニキア人やローマ人によってワインが作られていた時代があります。その後イスラムの時代を経て、キリスト教国の支配下になってから再びその歴史を紡いでいます。現在は数100ヘクタールのブドウ畑があり、白ブドウ品種ではモイ種、マカベオ種、パレリャーダ種、黒ブドウ品種ではマント・ネグロ種(マヨルカの固有種)、カリェット種(マヨルカ原産の種)、テンプラニーリョ種、モナストレル種などが栽培されています。

マヨルカ島のワイン産地として最も有名なのが島中央部に位置するビニサレムで、およそ500年前から優れたワイン産地として知られています。島では19世紀に害虫『フィロキセラ』の大発生によってワイン産業が著しいダメージを受けました。しかしビニサレムが中心となり、20世紀後半にマヨルカワインのめざましい復活を成し遂げた、という経緯があるのです。

ビニサレムは1991年に原産地呼称(DO)の認定を受けました。マヨルカ島でもう1ヶ所原産地呼称を受けた産地に、プラ・イ・レバントがあります。

まとめ

スペイン、バレアレス諸島・マヨルカ島の文化について紹介しました。スペインは本土のみでも地方ごとに特色豊かな文化と食を発達させている国です。その中でも地中海に浮かぶ島であるバレアレス諸島・マヨルカ島はさらに独特の文化と食を生み出しています。日本からは決して近いとはいえないマヨルカ島ですが、一度訪れればその美しさと個性的な文化にきっと夢中になるはず。透き通った青い地中海を眺めながら本場のソブラサダとビニサレムのワインを楽しむ、なんて最高でしょうね!

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