スペイン東部、地中海沿いに位置する州、バレンシア州の文化と食について、その歴史もふまえて紹介していきます。
バレンシア州とは
バレンシア州はバレンシア県・アリカンテ県・カスティリョン県の3県からなるスペイン東部に位置する自治州です。北はアラゴン州とカタルーニャ州、西はカスティーリャー=ラ・マンチャ州、南はムルシア州に接し、東は地中海に面しています。海岸沿いの広大な平野と山岳地帯を有していて、内陸部や高標高地域を除くとほぼ1年中温暖で過ごしやすい気候を楽しむことができる地域です。地中海に面するビーチは魅力的な観光地で、内陸部には落ち着いた村々があります。
州の人口は4百万人以上、千年を超える長い歴史があり、それぞれの市町村に数え切れないほど多くの祭りが催されます。州都は地中海西部・バレアレス海に面したバレンシアです。
バレンシア州の歴史
古代、バレンシア州の領域には3種の異なる部族のイベリア人が定住していました。イベリア人はフェニキア人、古代ギリシア人、カルタゴ人と海上貿易を通じて関係がありました。
バレンシア州沿岸部は紀元前202年の第二次ポエニ戦争でカルタゴを倒したローマに服従、その後7世紀もの間ローマに徐々に吸収され、使用する言葉にもラテン語を取り込んでいきました。ローマ時代の人口中心地はバレンシアではなく、同じく沿岸部のサグントやデニアでした。
その後8世紀から13世紀までイスラム教徒による支配を受け、灌漑システムが拡張し始めるとバレンシアが都市として成長を遂げます。現在でもバレンシア州の主な農産物である米は、8世紀にイスラム教徒によってもたらされました。
13世紀にはいるとレコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服)が起こります。スペインの現アラゴン州にあったカタルーニャとの連合国、アラゴン王国に併合され、バレンシア王国を築きます。アラゴン王がバレンシア王を兼任する形ではありましたが、自治権は与えられていました。
レコンキスタの後もしばらくはイスラム教徒が人口の大多数を占めていましたが、アラゴン連合国への併合後はカタルーニャ人とアラゴン人が入植してきました。
アラゴン連合王国の地中海遠征により、バレンシア王国は15世紀に黄金期を迎え、1479年のアラゴン=カスティーリャ同君連合成立によって繁栄の最高潮に達しました。その後、カルロス1世が即位してスペイン王国が成立することでバレンシア王国はスペインの構成国となったのです。
一方、アメリカ大陸の発見により貿易の中心は西大西洋へと変わり、バレンシアの貿易上の役割の比重は減少。また、バレンシア州沿岸は北アフリカを基地として活動した海賊、バルバリア海賊の襲撃を相次いで受けます。その後スペイン王フェリペ3世によって発令されたモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)追放により、バレンシア王国はその人口の1/3を失うという大打撃を受けました。
18世紀初めに起こったスペイン継承戦争ではオーストリア・ハプスブルグ家側について戦ったバレンシア王国は敗戦。ブルボン家によって自治権を剥奪され、スペイン王国の行政組織の一部となります。その後に迎えた18世紀後半のバレンシアの経済成長と人口の伸びは目覚ましいものとなりました。
19世紀、バレンシア地方ではワイン用ぶどう、米、オレンジ、アーモンドの栽培が盛んとなり、農地が拡張していきます。1833年のスペイン国土区分令によってスペインは49の県に分割されバレンシア王国だった地域はバレンシア県、アリカンテ県、カステリョン県に分割されます。
スペイン1978年憲法では自治州の設置が認められ、1982年にはバレンシア州自治省憲章が設置、現在の3県によるバレンシア州が発足しました。また、スペイン政府によって地域言語の権利が認められたため、バレンシア州はスペイン語(カスティーリャ語 Castillano)とともにバレンシア語(Valenciano)を公用語としました。
バレンシアの文化
ここからはバレンシア州を代表する祭りや伝統舞踊、建造物などを紹介し、バレンシア州の文化に触れていきます。
火祭り(ファジェス Falles )
お祭り付きで知られるスペインにおいても特に祭りの多い地域であるバレンシア州。その中でも特に有名な祭りがスペイン三大祭りにも数えられている火祭り(バレンシア語でファジェス、スペイン語でファジャス Fallas)です。守護聖人サン・ホセ(San Jose)の祝日3月19日を祝うキリスト教の祭りで、日本ではバレンシアの火祭り、またはサン・ホセの火祭り (Fiesta de San Jose)などと紹介されます。この祭りは2016年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。
その起源は一説では中世の大工職人が冬に仕事場の照明として使っていた木のランプを労働者の守護聖人であるサン・ホセの日の前日に燃やしていたことにある、と言われています。ファジェスという言葉は中世バレンシア語で見張り等に配置された松明を表す言葉で、現在は祭りそのものを表しますが祭りの期間中は設置される張子の人形のことも指します。
当初はボロ切れで作った人形を燃やしていましたが、19世紀半ばからファジェスは徐々に立体化して巨大化し、優秀なものには賞が贈られるようになり芸術性が重視されるようになりました。
ファジェスを作るのは『人形職人』と呼ばれる専業のファジェ職人です。人形職人という職業は1850〜60年ごろから存在すると言われています。かつては大工や画家が本業の傍らにファジェスを作っていました。しかし祭りの規模が大きくなるにつれ、ファジェ作りを専業とする人形職人が現れるようになったのです。現在では教育システムも整い、2年の専門過程を終え3年の見習い期間ののちに人形職人を名乗ること許されます。そしてその後は毎年1年がかりで火祭りのためにその技術と情熱を注ぐのです。
火祭りはバレンシア州の各市で行われ、市内それぞれの地区が『カサール・ファジェール (Casal faller)』と呼ばれる組織を結成し、1年間かけて祭りの資金集めのためにパーティや夕食会を開きます。夕食会ではバレンシア地方の名物、パエリアを出すことが多いようです。
3月に入るとバレンシア市庁舎前では毎日爆竹が鳴らされ、祭りへの期待感が煽られます。それぞれのカサール・ファジェールが3月15日から18日までの4日間、爆竹が満載の紙で作られたモニュメントの上にのせてファジェスを展示します。カサール・ファジェールの多くはデスペルタ(Desperta)と呼ばれる伝統的なブラスバンドを抱えていて、祭りの期間中、街にはドルサナ(バレンシア風縦笛)やタバレット(バレンシア風ドラム)の音が響きます。また、最終日に向けて街中で夜通し火が焚かれ、爆竹が鳴り、きらびやかな民族衣装を着た人々のパレードやパーティが行われます。
祭りの最終日、19日にその年の最優秀作品一体を除き、すべてのファジェスが燃やされます。フィナーレには花火も打ち上げられ、これぞ火の祭り、という盛り上がりを見せるのです。
人間の塔の元祖『ムイシェランガ (Muixeranga)』
『ムイシェランガ』はバレンシア州発祥の組体操と伝統舞踊を組み合わせたようなパフォーマンスの総称です。9月7日・8日にかけてバレンシア南西の街、アルゲメージの『健康の乙女』 (Mare de Déu de la Salut)を称える祭りで行われています。ムイシェランガはカタルーニャ地方で有名な『人間の塔』 (Castells)の元になっていると言われています。
ダンスに使われるのは作者不詳の古い特徴的な音楽で、ドルサナとタバレットで演奏されます。ムイシェランガの発祥にはいくつかの説がありますが、祭りの名称はアラビア語の仮面『モカイン』に由来すると言われています。
バレンシア大聖堂 (Catedral de Valencia)
『バレンシア大聖堂』はイスラム教徒がモスクとして使用していた場所に13世紀から15世紀にかけ建てられたローマ・カトリックの大聖堂です。建築期間が長期間に渡ったため、初期ロマネスク様式、バレンシア・ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式、新古典主義様式などが混在しています。
礼拝堂は美しい星型模様のドームがあり、優美な内装が特徴です。キリストが最後の晩餐で使ったとされる聖杯も展示されていることでも有名です。
大聖堂の隣には『ミゲレテの塔』 (Torre del MIguelete)があり、上まで登るとバレンシアの街を一望することができます。
絹の商品取引所『ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ (La lonja de la seda)』
『ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ』はバレンシアにある15世紀後半に建てられた商品取引所です。黄金の世紀を迎えていた当時のバレンシアの隆盛ぶりを忍ぶことができる荘厳な建築物で、1996年にユネスコの政界遺産に登録されました。
外観は塔や銃や弓を構えるための銃眼、悪魔やドラゴン、ケンタウロスなどを象ったグロテスクな装飾などのために非常に厳めしい雰囲気です。
内部には絹の取引の契約時に使用していた大広間『契約の間 (Sala de Contratación)』があります。12メートルの螺旋状の柱が8本伸びた広々とした空間は「椰子の木が生い茂る楽園」をイメージして作られています。楽園=椰子の木、という発想がいかにも地中海らしいと言えるでしょう。
契約の間を出たところにはオレンジの木が植えられたその名も、『オレンジの中庭 (Patio de los Naranjas』)があり、その中庭から階段を登ったところにあるのが『海洋領事の広間 (Consolat del Mar)』です。完成時期の関係でルネサンスの影響を受けた建築様式になっています。この広間には海の領事の裁判所が設けられていました。この裁判所はロン・ハ・デ・ラ・セダが建てられるよりもはるかに昔の1283年からバレンシアの海自と商業上の問題を取り仕切っていた機関で、スペインで初めての商事を扱った裁判所なのです。バレンシアのみならずスペインにとっても非常に重要な歴史に関わるこの広間の格天井は、フアン・デル・ポヨ (Juan del poyo)が1418年から1455年にかけて作り上げたもので芸術的な至宝と言って間違いない素晴らしい仕上がりです。
ヨーロッパ最大級の市場『バレンシア中央市場 (Mercado Central)』
『バレンシア中央市場』はロン・ハ・デ・ラ・セダと道を挟んで向かい側にあります。ヨーロッパ最大級の規模を誇る市場で、敷地面積はなんと8160m2もあり、約300ものお店が軒を並べています。
建築時期は19世紀から20世紀初頭。その当時ヨーロッパに流行した芸術運動「モデルニスモ」つまり「アール・ヌーヴォー」の影響を受け、曲線や彫刻を多用した装飾の多い建築様式が取られています。青と緑と黄という、地中海地域の伝統的な3色を用いたタイルが装飾に使われ、バレンシアが世界に誇るオレンジが描かれています。
海の幸も山の幸も豊富なバレンシアに位置するこの市場では、野菜や果物、魚介類や肉類、チーズやパン、お菓子、スパイス、お米やオリーブオイルなどなど、ありとあらゆる新鮮な食品が揃っていて、アジア食材や中南米食材を扱う店や、オーガニックな八百屋やカタツムリ屋などもあります。
バレンシアの食
海の幸、山の幸両方に恵まれたバレンシア州の豊かな食文化を象徴する代表的な料理・食材を紹介します。
パエリア (Paella)
世界中で最も有名なスペイン料理と言っても過言ではない『パエリア』は米どころ、バレンシア地方発祥の料理です。バレンシア米と呼ばれる短粒種の米『ボンバ米』で作られるのが一般的です。
そもそもはバレンシア地方に稲作を伝えたイスラム教徒が考案した料理で、鶏やウサギ、モロッコインゲンやカタツムリなどを米とともにパエリア鍋に入れ、オレンジの薪で炊いたものでした。その後各地に伝わるにつれ、現在の魚介類が入ったものが一般的なパエリアのイメージとして定着しました。バレンシア地方でも現在では魚介ベースのパエリア『アロス・ア・バンダ』やイカ墨のパエリア『アロス・ネグロ』など、さまざまな種類のパエリアがあります。
パエリア発祥の地と言われるアルブフェラ湖畔近くの米どころ、スエカ村では『国際パエリアコンクール』が開催され、スペインだけではなく世界各国のスペイン領地シェフが集結し、パエリア職人世界一を争います。審査基準は「味・見た目・おこげ・色・食感」なのだそう。おこげ、の部分には同じく米文化の日本人としては親しみを感じるポイントですね。
アロス・アル・オルノ (Arroz al Horno)
米どころ・バレンシア州にはパエリア以外にもたくさんの米料理があります。その一つがバレンシアから電車で45分ほどの街、ハティバ(Játiva)の郷土料理『アロス・アル・オルノ(Arroz al Horno)』です。
パエリアが友人や家族が集まる週末の料理なら、アロス・アル・オルノは忙しい週末の料理、といった存在です。具材とアロス(米)を炒めてからスープとともに『カスエラ(Cazuela・スペインの土鍋)』に入れて『オルノ(オーブン)』で焼くだけという手軽さが、時間のない時にはぴったりなのです。
使う具材はトマトやまるごとのニンニク、ジャガイモ、豚バラ肉や『モルシージャ(Morcilla)』という豚の血の腸詰など。ひよこ豆や肉団子を入れたり、サフランを入れて色付けするなど、地域や家庭ごとにさまざまなレシピがあります。
アロス・メロッソ (Arroz Meloso)
『アロス・メロッソ(Arroz Meloso)』もカスエラに入れて調理されるバレンシア州の米料理です。Meloso(メロッソ)はスペイン語で「はちみつのような」という意味があります。お米がトロリと調理されている状態に由来する名前で、汁気の多いリゾット、といった感じの料理です。
使われる具材はニンニクや玉ねぎ、パプリカや魚介類など。オリーブオイルで炒めた米と具材を弱火でじっくりと調理します。少し手間はかかりますが魚介のスープがよく出た、特別な日にもぴったりの料理なのです。
アロス・メロッソに使われる米は『センダラ (Sendra)米』もしくは『アルブフェラ (Albufera)米』など。センダラ米はスープを吸いやすい、アルブフェラ米はよりドライなタイプの米です。料理ごとに米を使い分けるこだわりには、バレンシア人の米料理への熱意を感じます。
フィデウア (Fideuá)
『フィデウア』はバレンシアの南の沿岸部の漁村、ディア発祥の料理です。赤海老や手長海老、あんこうの切り身などを入れて作られる料理です。一見パエリアのように見える料理ですが、使われているのは米ではなく、『フィデオ』という細身のバーミセリパスタです。実はこの料理は失敗から生まれた料理と言われています。パエリアを作ろうとしていたところ、米を入れる段階で米がないことに気づき、仕方なくフィデオを入れたのがフィデウアの始まりなのだそうです。
オジャ (Olla)
野菜や肉を入れて煮込んだスープ、またはシチューのような郷土料理で特に内陸部で食されます。カステリョン県の肉と野菜入りの『オジャ・デ・レ・カプレ』、バレンシア県のソーセージ入り『オレタス・デ・エンブティード』、アリカンテ県のお米の代わりにレンズ豆を使用した『オリカ・デ・アリカンテ』アザミ入りの『カルデ』など、各地に伝統的なオジャがあります。オジャとは蓋つきの鍋やその鍋で作った料理のことを指し、俗説ですが日本の『おじや』の語源とも言われています。
オルチャータ (Horchata)
『オルチャータ』はタイガーナッツ(キハマズゲの地下茎)を絞った汁に水や砂糖を混ぜた飲み物でバレンシアやバレンシア州南部のアリカンテで最もよく飲まれています。5世紀以上も続いたイスラム支配時代からの伝統的な飲み物で、ミネラルが豊富で、夏の暑さ対策に最適だと言われています。
トゥロン (Turrón)
バレンシア州のお菓子は大多数がイスラム支配時代に生まれたものとされています。『トゥロン』もその一つと考えられていますが、古代ローマ時代に市場で売られていたお菓子にも似ている、とも言われています。蜂蜜や砂糖、卵白やナッツなどで作られるヌガーで、クリスマスには欠かせないお菓子です。トゥロンは旧スペイン帝国の支配地域の各地にそれぞれの形で広まっているお菓子ですが、アリカンテとアリカンテの北、ヒホナのトゥロンは主にアーモンドで作られ、原産地名称保護制度によって保護されています。とくにヒホナのトゥロンは歴史が古く、少なくとも15世紀には知られていました。
アルナディ (Arnadí)
『アルナディ』はバレンシア県シャティバ名物のかぼちゃのケーキです。かぼちゃの他にはアーモンドやさつまいもなどを生地に練り込んで作られ、2時間ほどをかけてじっくりと焼き上げられます。春の受難週の間のバレンシア州には欠かせないものですが、バレンシア州外に出るとほとんど見つけることができないお菓子でもあります。
豊富な農産物
バレンシア州はスペイン有数の農業地域で、野菜、果物、特に柑橘類の生産が盛んです。バレンシアオレンジのほか、レモン、カジョサ・デン・サリアのセイヨウカリン、リベラ・デル・シュケルの柿、ベニカルロのアーティチョークなども原産地名称保護制度の認証を受けた特産品として知られています。
バレンシア州のワイン
バレンシア州のワインはバレンシア、アリカンテ、バレンシア西部のウティエル・レケーナの3つの産地が原産地呼称制度 (Denominación de Origen)に認定されています。ボバル種(ウティエル・レケーナの在来品種)やモナストレル種、テンプラニーリョ種から造られる赤ワイン、モスカテル種、アイレン種、ヴェルディル種(バレンシアの一部のみで作られる品種)から造られる白ワインが代表的です。
まとめ
バレンシア州の文化と食について、古代からの歴史を振り返りつつ紹介しました。
長い歴史と恵まれた地中海沿いの自然に恵まれたバレンシア州は豊かな文化と食を有した地域です。地中海と祭り、歴史的建造物、そして、本場のパエリアとワインを楽しみに、いつかバレンシアを訪れてみたいものです。