ダイナミックな地形と美しい緑に恵まれたスペイン北部の州、アストゥリアス州の文化と食について、その歴史を振り返りつつ解説していきます。
アストゥリアス州とは
アストゥリアス州(Principado de Asturias)はアストゥリアス県1県からなるスペイン北部の自治州です。公用語はカスティーリャ語ですが、アストゥリアス固有の言語はロマンス(Linguae Romanicae)語の一種、アストゥリアス語(l'asturianu)です。
東はカンタブリア州(Cantabria)、南はカスティージャ・イ・レオン(Castilla y León)、西はガリシア州(Galicia)に接し、北岸はカンタブリア海(Mar Cantábrico)に面しています。州都はカンタブリア山脈(Cordillera Cantábrica)の北麓にあるオビエド(Oviedo)です。
起伏が激しく、長い海岸線と険しい山地の内陸部を持ち、州の西から東にカンタブリア山脈が連なっています。カンタブリア山脈の州東部にあたる部分は、ヨーロッパの頂、を意味するピコス・デ・エウローパ(Picos de Europa )と呼ばれ、最高峰のトレ・デ・セレド山(Torre de Cerredo)は標高2,643mあります。
アストゥリアス州の気候は中央部や東部に比べると変化に富み、緑豊かな牧草地や森林があることから「緑のスペイン(エスパーニャ・ベルデ、España Verde)」と呼ばれます。年間通しての降水量は900mmほどで、内陸部に行くほどその量は増えます。夏は温暖で湿度が高く、晴天が多い反面、雨も降ります。冬は温暖ですが急激に冷えることもあり、内陸の山地では11月〜5月まで雪が降ります。
アストゥリアス州の歴史
アストゥリアスはその険しい地形のため、カンタブリアとともにローマ時代や8世紀初頭までの西ゴート時代を通じて中央の支配を受けることがありませんでした。
8世紀初頭にイスラム教国の勢力に征服されるものの、伝説の王で西ゴート王国の貴族、ペラーヨ(Don Pelayo)はアストゥリアス人勢力と手を組み、オビエドにアストゥリアス王国(Reino de Asturias)を建国します。そして722年、コドバンガの戦い(Batalla de Covadonga)によってイスラム勢力を倒し独立を確立し、カンガス・デ・オニス(Cangas de Onís)に都をおきました。コトバンガでの勝利はその後15世紀にまで続くレコンキスタ(Reconquista、イスラム教徒からのキリスト教国の国土奪還)の出発点と捉えられました。
8〜9世紀、ペラーヨの曾孫にあたるアルフォンソ2世(Alfonso II de Asturias)の時代ガリシア地方に勢力を拡げ、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ大聖堂(Santiago de Compostela)を設け、支配の拠点をオビエドに移しました。
その後アストゥリアス王国は10世紀初頭、ガルシア1世(García I de León
)の時代に都をレオン(León)へと移し、レオン王国(Reino de León)となります。
1388年、カスティーリャ王フアン1世(Juan I)は王子のエンリケ3世(Enrique III)にアストゥリアス公(Enrique III)の称号を与えます。この称号は現在にまで続くスペインの王位後継者の称号となりました。
19世紀以降は炭鉱が開発され鉱工業が発展します。20世紀以降は労働運動の拠点となり、1934年に労働者がアストゥリアス革命を起こすもののフランコ(Francisco Franco Bahamonde)の指揮による政府軍に制圧されました。
1981年、それまでオビエド県とされていましたが自治州制度の導入により1県1州のアストゥリアス州が誕生しました。
アストゥリアス州の文化
アストゥリアス州の文化を象徴する建築などを紹介します。
オビエドとアストゥリアス王国の建造群
レコンキスタの出発点となった当時のアストゥリアス王国時代、オビエドにはキリスト教国としてその信仰を表明するかの如く、後のロマネスク建築の先駆けとなった聖堂や修道院が建てられました。
オビエドの「オビエドとアストゥリアス王国の建造群」はアストゥリアス州の代表的な観光地であり、世界遺産にも登録されています。
オビエドはアストゥリアス革命とスペイン内戦によって2度もの壊滅的な破壊を経ています。そのため、歴史的な建造物がほとんど残されていません。そんななか、この「オビエドとアストゥリアス王国の建造群」はアストゥリアス王国建国の地であり、スペイン王国の原点の街と言われるオビエドの歴史を知る貴重な建造物として認められています。
「オビエドとアストゥリアス王国の建造群」は以下の6つの建造物で構成されています。
- サン・ミーゲル・デ・リーリョ聖堂(San Miguel de Lillo)
- サンタ・マリア・デル・ナランコ聖堂(Iglesia de Santa María del Naranco)
- サンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂(Iglesia de Santa Cristina de Lena)
- カマラ・サンタ・デ・オビエド(Cámara Santa de Oviedo)
- サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会(Iglesia de San Julián de los Prados)
- フォンカラダの泉
プエンテ・ロマーノ
プエンテ・ロマーノ(Puente Romano)はカンガス・デ・オニスにある、セリャ川(La sella)にかかる、アーチ状のローマ橋です。中央に掲げられた細やかな彫刻を施した十字架が特徴的。アストゥリアス王国の都だったカンガス・デ・オニスの当時の姿を忍ばせる、非常に美しい観光スポットです。
サムーニョ渓谷鉱山エコミュージアム
サムーニョ渓谷鉱山エコミュージアム(Eco Museo Minero Valle de Samuño)はアストゥリアス州の中心的産業、炭鉱のこの地での歴史を知ることができる博物館です。見学者は地下20mまで潜る炭鉱列車に乗り、保護景観に指定されている炭鉱の全域を見て回ることが可能です。炭鉱入り口から炭鉱内を1kmほど進むと、アストゥリアスで最も美しい炭鉱とも言われるサン・ルイス炭鉱(Minero de San Luis)に着きます。
アストゥリアス州の食
ここからはアストゥリアス州の食を象徴する料理や飲み物について解説します。
ファバーダ
日本では寒くなると鍋料理を食べるように、スペインではスプーン料理(Plato de cuchara)と呼ばれる煮込み料理を食べます。
ファバーダ(Fabada)はアストゥリアス地方のインゲン豆を使った伝統のスプーン料理です。インゲン豆(Faba)とチョリソ(Chorizo)、モルシージャ(Morcilla 、ブラッドソーセージ)などの腸詰や豚肉などを具とします。サフランが加えられたり、骨付きラコン(Lacon、ローストスモークハム)やトシーノ(Tocino、塩漬け豚の背脂)が使われることもあります。
アストゥリアス地方では16世紀からインゲン豆を栽培し、食してきた歴史があります。ファバータが誕生したのは18世紀、アストゥリアス地方の都市部だと考えられています。フランス南西部のカスレ(Cassoulet)によく似ているため、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago)によって伝わったのではないかと考えられています。
アストゥリアスのチーズ
アストゥリアス地方は数多くの種類チーズが作られる地域です。ピコス・デ・エウロパ山脈にほど近いカブラレスで作られる刺激的な強い香りのブルーチーズはDO認定されていて、世界一高いと言われていいます。この地域の石灰岩の多い山には数多くの洞窟やほら穴があり、昔から食べ物を保存するのに使われてきました。カブラレスのチーズもこの洞窟を使って作られてきた伝統があり、洞窟の持つ特殊な環境がこの個性的なブルーチーズを作り上げてきたと言えます。フランスのロックフォールチーズ(Roquefor)やイタリアのゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)などは同じブルーチーズでも青カビを注入して作りますが、カブラレスチーズは洞窟の中で自然に青カビをまとうのです。
もともとは牛と山羊、羊のミルクで作られていたカブラレスチーズですが、現在は山羊と羊の乳の割合は少なくなっています。
カブラレスチーズはシードルとの相性が良く、他にもソースにして肉料理やフライドポテトに合わせても美味です。
アフエガルピトゥ(Afuega’l Pitu)はアストゥリアス地方で最も人気の高いチーズの1つです。低温殺菌された牛乳で作られ、フレッシュなタイプはさわやかな酸が特徴で、熟成が増すにつれクリーミーさが増し、長期熟成になるとブリーチーズをさらに粘度が高く硬くしたような質感になります。プレーンタイプとピメントン・ピカンテ(Pimenton picante、辛さのあるパプリカパウダー)を加えたタイプがあります。ピメントン入りのアフエガルピトゥは主に鉱山地帯で作られていました。重労働で疲れ果てた労働者にとって、ワインは痛みを和らげ、滋養となるものでした。ワインがより進む刺激的なピメントン入りのアフエガルピトゥは鉱山労働者にとって、空腹を満たし、活力を与えるものだったようです。
カンガス・デ・オニスなどで作られるガモネド(Gamonedo)も牛、山羊、羊のミルクで作られ、とスモークの香りとスパイシーさが特徴のブルーチーズです。アストゥリアス地方には他にもカシン(Casín )やベヨス(Beyos)など、数多くのチーズがDO認定されています。
カチョポ
カチョポ(Cachopo)は薄切り牛肉の間にハモン(Jamón)とチーズを挟み、パン粉をつけて揚げて作る料理です。アストゥリアス地方の伝統料理なのですが、スペインでは近年カチョポが大人気となっています。首都マドリード(Madrid)では年に一度、カチョポを提供するレストランフェアが開催される「Jordanas Del Cachopos (カチョポ週間)」が実施されるほど。レストランによっては20×30cmほどもある巨大なカチョポが提供されます。
アロス ・コン・レチェ
お米を牛乳で甘く煮る、アロス ・コン・レチェ(Arroz con leche)は北部を中心にスペイン全土で食べられますが、酪農王国アストゥリアス地方の代表的スイーツとして知られています。
香り付けにレモンピールやシナモンを入れるのが基本的なレシピですが、アストゥリアスのアロス ・コン・レチェは表面に砂糖を振り、焦げ目をつけるのが特徴です。お米=主食、のイメージが強い日本では抵抗を感じる人も多いようですが、もちもちとした食感のお米の優しい甘さは一度食べるとクセになる美味しさです。
フリシュエロス
フリシュエロス(Freixolos)はクレープに砂糖やクリーム、ジャムを挟んだりして食べるアストゥリアス地方を含む北スペインの代表的スイーツです。発祥の地は諸説あるもののフランス、ブルターニュ地方と言われ、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路によってアストゥリアス地方に伝わったのではないかと考えられています。
シードル
アストゥリアス地方はシードル、スペイン語ではシードラ(Cidra)の産地の本場として有名です。2002年には地元原産のりんご果汁だけを使用したシードラに対し、シードラ・デ・アストゥリアス(Cidra de Asturias)の名称を名乗ることが許可されています。
アストゥリアスにはシドレリアと呼ばれるシードラを提供するバルが数多くあります。シドレリアでは、頭上の高い位置から瓶詰めのシードラをクリン(Culin)と呼ばれるグラスにゆっくり時間をかけ注ぎます。この注ぎ方はエスカンシオール(escanciar)という伝統の方法です。エスカンシオールされたシードラは一気飲みするのが流儀とされています。エスカンシオールには熟練の技が必要で、専門に行うエスカンシアドールという職業もあり、エスカンシアールの競技会も開催されています。エスカンシアドールはシードラを注ぐ際、まるでよそ見をしているかのような状態になります。これはピコス・デ・エウロパの方角を見ているのだとか。
まとめ
豊かな自然に恵まれたアストゥリアス州はスペイン王国の原点とも呼ばれ、美味しいチーズやシードルなども堪能することができる魅力的な地域です。まだまだ日本では知名度がありませんが、だからこそ興味深い場所でもあります。まずはアストゥリアスのシードルとチーズを味わい、現地に想いを馳せてみるのも良いですね。