古代の歴史が薫るエストレマドゥーラ州の食と文化について 古代の歴史が薫るエストレマドゥーラ州の食と文化について

古代の歴史が薫るエストレマドゥーラ州の食と文化について

古代ローマの遺跡群や最高級のハモン・イベリコで知られている、エストレマドゥーラ州の文化と食について、その歴史も振り返りながら紹介していきます。

エストレマドゥーラ州とは

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

エストレマドゥーラ州(Comunidad Autónoma de Extrem adura)はスペイン西部に位置する州です。イベリア半島中央にある広大な乾燥高原であるメセタ(Meseta)の南西部を占め、気候は大西洋からの湿潤気団の影響を受けています。豊かな牧草地での牧羊、闘牛の飼育、中世さながらの黒豚の放牧も盛んです。

平均海抜高度が約400m前後で、高原の東部地帯よりかなり低めに傾いています。古生代の山塊が風化したなだらかな丘陵地帯をなし、南部のモレナ山脈(Sierra Morena)はアンダルシア州Comunidad Autónoma de Andalucía)と接し、北はカスティーリャ・イ・レオン州、東はカスティーリャ=ラ・マンチャ州Castilla-La Mancha)、西はポルトガルと接しています。

バダホス県(Provincia de Badajoz)とカセレス県(Provincia de Cáceres)の二つの県から構成されていて、州都はバダホス県のメリダ(Mérida)で、最大都市はバダホス(Badajoz)です。

「エストレマドゥーラ」とはイベリア半島南西部の歴史的地方名でした。ポルトガル中西部にもエストレマドゥーラ地方として名前が残っています。由来はローマに支配されていた時代の「地の果て」またはレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復戦争)時代のキリスト教諸国から見たドゥエロ川(El Duero、メセタを横断する川)以南のイスラム教徒支配地を意味する「ドゥエロ川の向こう」など、諸説あります。レコンキスタの進展とともに「エストレマドゥーラ」を指す地域は南下し、最終的に現在のカセレス県バダホス県の地域が「エストレマドゥーラ」と呼ばれるようになりました。

エストレマドゥーラ州の歴史

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

エストレマドゥーラ地方の大部分とポルトガル南部はローマ皇帝アウグストゥス時代に「エメリタ・アウグスタ(Emerita Augusta)」つまり現在のメリダに州都が置かれルシタニア( Lusitania)属州の領域となりました。

ローマ帝国滅亡後の西ゴート王国の支配時代を経て、その後コルドバのカリフ(後ウマイヤ朝)の支配下に入り、それからはレコンキスタの舞台となります。イスラム教徒から奪還した土地は、騎士団や貴族階級に分配され、その後のラテンアメリカの植民地におけるラティフンディオ(latifundio、大土地所有制)の源となりました。

14世紀に入るとポルトガル王国との国境線に緊張が走り、繰り返しバダホスを巡る戦いが起こり、15,16世紀には当時隆盛してきたスペインとポルトガル王国両国の争いの地となりました。

大航海時代にはコルテス(Hernán Cortés de Monroy y Pizarro)、ピサロ(Francisco Pizarro)など多くのコンキスタドール(Conquistador)を輩出。そのため、アメリカにはエストレマドゥーラ地方の地名にちなんだ都市が多く、メキシコやベネズエラには「メリダ」の名を持つ都市が作られています。アメリカ合衆国ニューメキシコ州のアルバカーキ(Albuquerque)はカセレス県のアルブルケルケ(Alburquerque)に由来します。

17世紀にはポルトガル独立戦争、18世紀にはスペイン継承戦争、19世紀にはナポレオン侵入の独立戦争においてエストレマドゥーラは戦場と化します。

1833年スペイン地方行政区再編によってエストレマドゥーラ地方にカセレス県とバダホス県が置かれます。その後のフランコ独裁の時代を経て、1983年の自治州法の制定によりカセレス県とバタホス県の範囲にエストレマドゥーラ州が発足されました。

エストレマドゥーラ州の文化

ポルトガルと国境を接し、長きにわたって最果ての地であったエストレマドゥーラ州には遠い昔の遺産が数多く残されています。エストレマドゥーラ州の文化を象徴する遺跡や街を紹介していきます。

ローマに金銀を運んだ街道がもとになった巡礼路『銀の道(Via de la plata)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

銀の道はアンダルシア州のセビーリャ(Sevilla)から北上しメリダ、カセレス、バダホス県のサフラ(Zafra)などを通り、カスティーリャ・イ・レオン州のアストルガ(Astorga)でフランス人の道(Camino de Santiago francés)と合流するサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago)の1つに数えられる巡礼路です。

もともとは農産物や軍隊、商人の移動のためにローマ帝国が築いた交易路でした。銀の道途上にあるメリダとカセレスは現在どちらも海外からの観光客に人気の歴史ある街です。しかし電車やバスで1時間ほどという近い距離ながら両者の雰囲気はかなり異なります。

ローマの属州時代の州都であったメリダには退役軍人のための恩恵地兼植民拠点が置かれ、現在でもその時代に築かれた円形劇場(Anfiteatro Romano)、ローマ劇場(Teatro Romano)、ローマ橋(Puente Romana)、ディアナ神殿(Templo de Diana)、ミラグロス水道橋(Milagros Aqueduct)、トラヤヌス帝の凱旋門(Arco de Trajano)などの建築物が残されています。これら古代ローマ時代の遺跡はメリダの考古遺跡群として世界遺産に登録されています。

いっぽう、カセレスには城壁に囲まれた中世都市の街並みが残る旧市街があり、世界遺産に登録されています。

カセレスは地中海貿易が盛んになった14世紀に物資を北方やポルトガルに運ぶ中継地点として栄えました。交易で裕福になった貴族の間には絶えず対立があり、それぞれ屋敷を要塞化して防衛のための射眼付き監視塔を建てました。斜眼はその後のカトリック両王によって外されましたが、王に忠誠を誓ったシグエーニャス家の塔だけは破壊されずに現存しています。

スペインの最も美しい村『トルヒーリョ(Trujillo)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

カセレス県のトルヒーリョは、「スペインの最も美しい村」にも選出されている小さな町です。古くからの歴史が残る町で、先史時代とローマ以前の遺跡が残り、町を見下ろす丘の上にはイスラム教徒の支配時代に築かれた10世紀の要塞跡『トルヒーリョ城(Castillo de Trujillo)』があります。

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

現在のペルーあたりを征服したコンキスタドールであるピサロの出身地として知られ、街の中央のマヨール広場(Plaza Major)にはピサロの騎馬像が建てられています。また、マヨール広場では毎年5月に『チーズ祭り(Feria Nacional del Queso de Trujillo)』が開催され、スペインと世界の各地からおよそ300種類ものチーズが販売されます。

スペイン最大!バダホスの『アルカサバ(Alcazaba)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

ポルトガルにほど近いエストレマドゥーラ最大の街、バダホスにはスペイン最大と言われるアルカサバが残っています。アルカサバとはイスラム教徒の支配時代に築かれた城塞のこと。バダホスのアルカサバ内にある『エスパンタペロ塔(Torre de Espantaperros)』は、5世紀以上の時を経た今でもバダホスの象徴的存在となっています。

エストレマドゥーラ州の食

ポルトガルとの国境にあり、山々に閉ざされた地であるエストレマドゥーラは他の州と比べ、一般的な意味での豊かさに恵まれているわけではありません。しかし、辺境とも言える土地だからこそ、豊かな食材の宝庫であるとも言えます。舌の肥えた古代ローマ人もエストレマドゥーラのハムやワインをローマへ持ち帰った、と言われるほど、質の良い食材の産地として歴史があるのです。

スペインを代表する高級ハム『ハモン・イベリコ(Jamón Ibérico)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

エストレマドゥーラは生ハムの名産地として知られていて、ハモン・イベリコの四大産地に数えられています。

ハモン・イベリコはデエサ(Dehesa)という牧草地でどんぐりを食べて育った黒豚のイベリコ種のハムです。

エストレマドゥーラのなかでもメリダとカセレスの間にある小さな町、モンタンチェス(Montcánchez)のハモン・イベリコはスペイン国内でも最高品質を誇ります。

また、エストレマドゥーラはハムだけではなく極上の『プルマ(Pulma、豚の脇腹肉)』、『セクレート(Secreto、豚ヒレ肉)』、『プレサ(Presa、豚ロース)』などの肉の産地でもあります。

羊乳のとろけるチーズ『トルタ・デル・カサール(Torta del Casar)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

トルタ・デル・カサールはカセレス郊外の村で作られる羊乳のウォッシュチーズです。甘くコクのあるゴージャスな味わいながら羊乳チーズの特徴であるクセは控えめで、マイルドで食べやすいチーズです。通常、チーズの凝固剤には動物性レンネットが使われますが、トルタ・デル・カサールではカルド(Cardo、朝鮮アザミ。アーティチョーク)のおしべが使用されています。独特の苦味や香り、そして柔らかさはこのカルドを使うからこそのもの。スペインでカルドを凝固剤に使うのはエストレマドゥーラだけです。

甘いヘルテの『セレサ(Cereza)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

エストレマドゥーラ北部のヘルテ渓谷(Valle del Jerte)は世界でも最高級のセレサ(さくらんぼ)の産地として知られています。ヘルテのさくらんぼはピコタ(Picota)というヘルテだけにある原産地呼称(DO)証明された品種で、摘み取り時に自然に取れるため軸が無く、ジューシーでとても甘いさくらんぼです。 

精進日のポタージュ『ポタヘ・デ・ヒビリア(Potaje de Vigilia)』

スコルニワイン エストレマドゥーラ州

ポタヘ・デ・ヒビリアはスペイン各地で食べられているエストレマドゥーラの伝統料理です。ガルバンゾ豆に干しダラやほうれん草を煮込んだポタージュで、肉を食べることを禁じられていた精進の日、つまり金曜日に食べる料理として生まれました。この料理は別名『ポタへ・エストレメーニョ(Potaje Extremeño、エストレマドゥーラ地方のポタへ)』と呼ばれています。

かつても大修道院・モナステリオ(Monasterio)の領地として栄えていた小さな町、カセレス県のグアダルペ(Guadalupe)の修道院の食堂では、金曜日になるとこのポタへ・エストレメーニョが出されます。干しダラの旨みとほうれん草の甘み、そしてほくほくのガルバンゾがそれらをしっかり吸い込んで、素朴でありつつも大満足の一皿になっています。

エストレマドゥーラ州のワイン

エストレマドゥーラは古くからワイン醸造の歴史があるものの、長い間地元で消費するためのビノ・デ・ラ・ティアラ(Vino de la vino、地ワイン)のみを生産してきました。近年ようやく栽培と醸造の改革が進み、スペイン随一のコストパフォーマンスを誇る産地に生まれ変わっています。

1999年、この州で初めてDOが認められたのはリベラ・デル・グアディアーナ( Ribera del Guadiana)です。リベラ・バハ(Ribera Baja)、リベラ・アルタ(Ribera Alta)、ティエラ・デ・バロス(Tierra de Barros)、マタネグラ(Matanegra)、カニャメロ(Cañamero)、モンタンチェス( Montcánchez)の6つのサブゾーンに分類され、夏は酷暑、冬は厳冬で雨の少ない地域です。広大な栽培面積はラ・マンチャ地方ほどあり、「ワインの海」とも呼ばれます。

ティエラ・デ・バロスで造られるテンプラニーリョ(Tempranillo)をベースとした赤ワインがDO全体の生産量の6割近くを占めています。カイエタナ(Cayetana)や固有品種のアラリヘ(Alarije)、ドイツ系品種のヴォルシュリースリング(Welschriesling)の白を造っているサブゾーンもあります。ティエラ・デ・バロスやマタネグラなど一部地域でカヴァも造ることが許されています。

まとめ

スペインの他の州に比べるとまだまだ日本にはその情報が届いていないエストレマドゥーラ州ですが、豊かな自然や数々の古代遺跡、そして美味しい食文化がいっぱいの魅力ある土地です。ワイン産地としてもこれからさらに発展していくことが見込まれていて、しかもハムとチーズの優れた産地でもあります。エストレマドゥーラ州はスペインの注目株、と言える地域かもしれません。

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