スペインで一番スペインらしい州・カスティーリャ・イ・レオン州の文化と食について スペインで一番スペインらしい州・カスティーリャ・イ・レオン州の文化と食について

スペインで一番スペインらしい州・カスティーリャ・イ・レオン州の文化と食について

スペイン最大の州で最もスペインらしい州と言われるカスティーリャ・イ・レオン州の文化と食について、その歴史も振り返りながら紹介していきます。

カスティーリャ・イ・レオン州とは

カスティーリャ・イ・レオン(Castilla y León)州はスペイン北西部にあるスペイン最大の州で、国土の5分の1を占める面積があります。北はアストゥリアス(Asturias)州とカンタブリア(Cantabria)州、東はバスク(País Vasco)州とラ・リオハ(La Rioja)州とアラゴン(Aragón)州、南東はマドリード(Madrid)州とカスティーリャ=ラ・マンチャ(Castilla-La Mancha)州、南はエストレマドゥーラ(Extremadura)州、西はガリシア(Galicia)州とポルトガルに接しています。

アビラ県(Provincia de Ávila)、ブルゴス県(Provincia de Burgos)、レオン県(Provincia de León)、パレンシア県(Provincia de Palencia)、サラマンカ県(Provincia de Salamanca)、セゴビア県(Provincia de Segovia)、ソリア県(Provincia de Soria)、バリャドリッド県(Provincia de Valladolid)、サモーラ県(Provincia de Zamora)の9つの県があり、州都は定められていませんが、バリャドリッドが州都の役割を果たしています。レオン県の県都レオンはレオン王国の都、ブルコス県の県都ブルコスはカスティーリャ王国の都でした。バリャドリッドはマドリードが首都に確定するまでは何度か首都としてその役割を果たしてきました。

カスティーリャ・イ・レオン州の歴史

多くの歴史学者によるとカスティーリャ・イ・レオン州こそがスペイン王国の発祥地で、その公用語であるカスティーリャ語が世界中で話されている言語であるスペイン語の発祥地だとされています。スペインの歴史上で非常に重要な意味を持つカスティーリャ・イ・レオン州の歴史について解説します。

ブルゴス県アタプエルカ(Atapuerca)にはヨーロッパ最古の化石人類の化石が発見された考古遺跡があります。また、レオンの旧市街にはローマ時代の城壁が残っています。紀元1世紀、レオンには山岳民族から属州であったヒスパニア(Hispania、イベリア半島の古名)を守るためにローマ軍団が駐屯していました。ラテン語で駐屯地を「レギオン」と言い、それが転じて「レオン」になったと言われています。

カスティーリャ・イ・レオン州はレオン王国(Reino de León)とカステイーリャ王国(Reino de Castilla)の一部だった地域で形成された州です。

・レオン王国

レオン王国は8世紀にイスラム勢力の侵攻によって滅んだ西ゴート王国の貴族、ペラーヨ(Don Pelayo)がキリスト教国による国土回復運動、レコンキスタの拠点となっていたアストゥリアス(Asturias)地方に建てたアストゥリアス王国を起源としています。その後イスラム教王朝やナバラ王国(Reino de Navarra)の占領時代を経て、1037年にカスティーリャ王国に併合され、カスティーリャ=レオン王国になりました。

・カスティーリャ王国

914年にレオンに遷都していたレオン王国の東部地域にはメセタ(Meseta)と呼ばれる山々に囲まれた乾燥した高原が広がっていてイスラム勢力の侵攻ルートとなり、戦闘が繰り広げられていました。そのため、この地域の住人は防衛のため城塞を築きました。この地域の名称はスペイン語で城を意味するカスティーリョ(castillo)に由来すると言われています。


932年、この地域に複数存在した伯領がカスティーリャ伯領として統合され、961年にはレオン王国から事実上独立します。その後ナバラ王国に併合されますがナバラ王国は大王と称されたサンチョ3世の没後に衰退、カスティーリャ領を受け継いだフェルナンド1世(Fernando I)がレオン王国を併合し、カスティーリャ=レオン国王となりました。

・カスティーリャ=レオン王国

カスティーリャ=レオン王国はフェルナンド1世の頃からカスティーリャとレオンの結びつきが弱く、外に目を向けて国内の統合を図る意図もあり、レコンキスタを進める方針を取りました。その後、王家の兄弟同士の権力闘争によってカスティーリャとレオンに何度か分割、統合を繰り返しながらイスラム教勢力との争いを続けました。

・カスティーリャ王国に再統一

カスティーリャ王アルフォンソ8世(Alfonso VIII)の娘ベレンゲラ(Berenguela

)とレオン王アルフォンソ9世(Alfonso IX)の息子フェルナンド3世(Fernando III)は1217年に母から王位を譲られ、カスティーリャ王になり、その後父の死後レオン王位も継承。カスティーリャとレオンは再び同君連合になりましたがその後両国は分かれることなく、カスティーリャ王国と呼ばれました。

・トラスタマラ朝

カスティーリャ王エンリケ2世(Enrique II)によってトラスタマラ朝(Casa de Trastámara

)が開かれます。トラスタマラ朝は14世紀から16世紀にかけ、カスティーリャ王国、アラゴン王国(Reino de Aragón)、ナバラ王国などや南イタリアのシチリア王国(Regno di Sicilia)、ナポリ王国(Regno di Napoli)を支配しました。1479年にカトリック両王と呼ばれるカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel la Católica)とアラゴン王フェルナンド2世(Fernando el Católico)の下でイスラム教国のグラナダ王国が征服され、レコンキスタが終焉を迎えます。その後、当時イベリア半島に存在した諸国から現在に至るスペイン王国(Reino de España)が形成されました。そしてカトリック両王の孫であるカルロス1世(Carlos I)によってスペイン・ハプスブルグ朝が成立、17世紀までスペインを統治しました。18世紀はスペイン継承戦争を経てブルボン家が王位に就き、カスティーリャ王国とアラゴン王国を統合し、二国で王位を共有していたスペインを改めて真に1つの王国としてまとめました。

・自治州制度の導入

1978年のスペイン憲法の成立後、自治憲章が導入されると19世紀にはレオン地方とカスティーリャ・ラ・ビエハ(Castilla la Vieja)と呼ばれる旧カスティーリャ地方に分かれていたカスティーリャ地方では州の構成をどうするかが問題になりました。1県1州から、ラ・マンチャ地方を含む大カスティーリャ構想まで出るほど意見は分かれ、最終的にレオン地方とカスティーリャ・ラ・ビエハの県が州としてまとめられました。ただ、カスティーリャ・ラ・ビエハの中でもカンタブリアとラ・リオだけは1県1州の週として分離しました。カスティーリャ・イ・レオン州はスペインで唯一「歴史と文化の自治州」という定款を認められている地方です。

カスティーリャ・イ・レオン州の文化

ここからはカスティーリャ・イ・レオン州の文化を象徴する建造物などを紹介します。

スペインゴシック建築の最高傑作・『ブルゴス大聖堂』

スコルニワイン  カルティーリャ・イ・レオン州 ブルゴス大聖堂

ブルゴス大聖堂(Catedral de Burgos)はブルゴスにあるスペインゴシック建築の最高傑作と呼ばれるカソリック教会の大聖堂です。1984年に世界遺産に登録されています。

1221年にカスティーリャ王フェルナンド3世とブルゴス司教の命によって建設が開始されました。フランス人やドイツ人など多くの職人が建設に関わるものの200年ほどの中断を挟んだこともあり、完成は1567年のこととなりました。

燃え上がる炎のような装飾が特徴のフランボワイヤン様式やイスラムの銀細工の手法を取り入れた浮き彫りのプラテレスコ様式などが導入されています。入り口の上部にはステンドグラスの美しい「バラ窓」、1250年頃の作と言われる12使徒像を彫った「ポルタダ・デ・ラ・コロネリア」、天井のステンドグラスが壮観な「元帥の礼拝堂」などが有名です。また、ダ・ヴィンチの弟子によるマグダラのマリアの絵が展示されていますが、この絵の一部をダ・ヴィンチ本人が手掛けたとする説もあります。

城壁と聖人の都市・アビラ旧市街

スコルニワイン  カルティーリャ・イ・レオン州 アビラ旧市街

アビラ県の県都アビラはギリシャ神話の英雄ヘラクレスが建設したという伝説が残る古都です。ローマ帝国の植民地アベラが起源とされ、16世紀には修道院改革の尽力者、聖テレサによる宗教改革の中心地になりました。アビラの旧市街と市壁街の教会群は1985年に世界遺産に登録されています。

アビラの旧市街は「城壁と聖人の都市」と呼ばれ、87の塔と9つの扉のある全長2,500mの花崗岩でできた城壁が取り囲み、城壁の外にはたくさんの教会が建てられています。城壁の上からは中世のひしめく街並みを眺めることができます。

アビラ大聖堂は12世紀に建設が始まり、ロマネスクとゴシックの2つの様式が混ざり合っています。スペイン初のゴシック様式大聖堂としても有名です。大きな半円形のシモロ、と呼ばれる塔が城壁とつながった珍しい建築スタイルになっているのが特徴です。

セゴビア旧市街と水道橋

スコルニワイン  カルティーリャ・イ・レオン州 セゴビア旧市街と水道橋

セゴビア県の県都セゴビアの旧市街と水道橋は1985年に世界遺産に登録されています。

セゴビア大聖堂はセゴビア旧市街の中心のマヨール広場にあります。

セゴビアは1520年、カルロス1世の絶対主義支配に対してスペイン都市が反乱を起こした「コムネロスの反乱(Guerra de las Comunidades de Castilla)」によって戦場となりました。セゴビア大聖堂も破壊されましたが、カルロス1世は一度大聖堂を取り壊し、再度建設を行います。そして大聖堂は18世紀に現在の姿に完成しました。

セゴビア大聖堂はスペイン最後のゴシック建築です。気品漂う、美しいスカートの裾を広げたような姿から「大聖堂の貴婦人」と称されます。内部には16世紀の彫刻家、ファン・デ・フニ(Juan de Juni)の「悲しみの聖母」や「キリスト横臥像」で有名なグレゴリオ・デ・フェルナンデス(Gregorio Fernández )の作品が展示されています。その他、フランボワイヤン様式で装飾された司祭席と回廊、聖堂内部の重厚なステンドグラスなどの見所がいっぱいです。

セゴビアの水道橋は紀元前80年にセゴビアを制圧したローマ帝国が都市整備に注力していたその一環で建設されました。水道管を利用し、圧力をかけて給水する技術が無かった時代だったため、セゴビア旧市街のある丘と同じ高さの水道橋を作り、橋の上に導水路を敷設したのです。橋の下は通路を兼ねた広場で、民家や商店などもあります。この橋はローマ時代以降も使用されましたが、イスラム教徒が占領後に撤退するときに重要なアーチ部分を破壊したために使用できなくなってしまいました。その後カスティーリャ王国のイサベル1世によって修復され現在の姿になりました。全長318m、高さ地上30m、幅2.4mの細長く巨大な姿と人間技とは思えないほどの見事さから「悪魔の橋」とも呼ばれています。

比類なき美しい町・サラマンカの旧市街

スコルニワイン  カルティーリャ・イ・レオン州 サラマンカの旧市街

サラマンカ県の県都サラマンカの旧市街は1988年に世界遺産に登録されています。サラマンカの起源は古代ローマ時代にトラヤヌス帝によって建設された植民都市だったとされています。その後イスラム教徒の支配下に入るとイスラム文明を享受します。古代ギリシアローマ学問やイスラム学問がサラマンカに集積され、中世ヨーロッパ世界への学問の発信地となりました。その後レコンキスタが進み、1208年アルフォンソ9世によってサラマンカ大学が設立されました。サラマンカ大学は現存するスペイン最古の大学で「知識を欲するものはサラマンカへ行け」と言わしめました。大航海時代には天文学などに基づいた公開計画が練られた場所となりました。

サラマンカの市街はイスラム様式からゴシック様式、バロック様式など、さまざまな建築文化が集積されています。酸化鉄を含んだ石材でできた建築物からなる町並みは太陽に当たると黄金色に輝き、その眺めはサラマンカに「黄金の町」との呼び名を与えています。また、サラマンカは最も美しいカスティーリャ語、つまりスペイン標準語が話されている街と言われ、留学先としても人気があるのだそうです。

カスティーリャ・イ・レオン州の食

内陸部のカスティーリャ・イ・レオン州では肉や野菜、豆などの食材を使った料理が豊富です。ここからはカスティーリャ・イ・レオン州を代表する料理や食材などを紹介していきます。

子羊の釜焼き『レチャソー(Lechazo asado)』

ブルゴス県のアランダ・デ・ドゥエロ(Aranda de Duero)やバリャドリッド周辺ではまだ離乳していない子羊をじっくりと釜焼きにしたレチャソーが名物です。アランダ・デ・ドゥエロは料理の中心地として知られ、子羊を焼く薪ストーブを備えたレストランが数多くあります。

バリャドリッドの『フエベス・デ・タパス (Jueves de Tapas)』

バリャドリッドは創作タパスのメッカと呼ばれる街です。毎年11月にはピンチョス(pintxos)とタパスのコンクールが行われ、華やかでユニークなタパスが作られていく様子を眺めつつ、味わうことができます。バリャドリッドの各バルに看板タパスがあるため、1つずつつまんではしご酒、という楽しみ方ができるのです。

バリャドリッドのバルが盛り上がるのは木曜日です。フエベス・デ・タパス、つまりタパスの木曜日、というわけで街中のバルがピンチョスやタパスをお得なドリンクのセットにして売り出します。スペインの他の地方都市のタパスはバルセロナやマドリードのものと比べると素朴なものが多いのですが、バリャドリッドのタパスは非常に洗練されています。

ソリアの『キノコの祭典』

カスティーリャ・イ・レオンではキノコ関連のイベントが年間350以上開催されています。秋にソリア県で行われる『国際キノコの祭典』もその1つ。ソリア地方のキノコはキノコが豊富なスペインの中でもその種類の多さと味の良さで特級品として認められています。ソリア地方では赤胴色のニスカロ(チチタケ)やボレトゥス(ポルチーニ茸)「Trompetillas de la muerte(死の小さなトランペット・クロラッパダケ)」と呼ばれる珍しい紫っぽい黒色のキノコなど、多種多様な種類が採れます。『国際キノコの祭典』では、キノコ狩りや子供向けのキノコのワークショップ、キノコのプロによる講義などを体験することができます。2年に1度、ミシュランガイドにも載るシェフもやってくるこの祭典にはネット予約で誰でも参加することができます。

『コシード・マラガート(Cocido malagato )』

スペインの冬の定番の煮込み料理『コシード』はマドリードの名物料理として有名ですが、冬は冷え込むカスティーリャ・イ・レオン州でもコシードは定番の料理です。コシード・マラガートはレオン県の中央に位置するラ・マラガテリア(La Malagateria)地区の名物料理。ラ・マラガテリアはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago)の「フランスの道( Camino Francés )」が通るラバナル・デル・カミーノ(Rabanal del Camino)などの村がある地方です。

コシード・マラガートがマドリードのコシードと違うのはその順番です。マドリードのコシードでは肉と野菜、豆を煮込んだ煮汁にパスタを入れたスープから食べ始めますが、コシード・マラガートでは最初に肉を食べ、次に煮込んだキャベツなどの野菜とひよこ豆、最後にスープ、といった順番で提供されます。

肉は豚足、鼻、耳やもも肉、チョリソや牛肉、そしてレジェーノ(Relleno)という卵やパンやチョリソやにんにくなどで作った詰め物などが出されます。

その後に出てくるひよこ豆はピコ・パルタル(Pico Pardal)という種類で、マラガテリア地方で作られる、普通のものよりも小さいひよこ豆です。

カスティーリャ・イ・レオン州のワイン

スコルニワイン  カルティーリャ・イ・レオン州

カスティーリャ・イ・レオン州は冬は極寒、夏は酷暑になる寒暖の差が大きい大陸性気候で乾燥した高地が広がっています。D.O.は他州とまたぐものも含めて9つあり、その中でもリベラ・デル・ドゥエロ(Ribera del Duero)やビエルソ(Bierzo)、ルエダ(Rueda)は著名な産地として挙げられます。

リベラ・デル・ドゥエロは世界的に高級ワインの産地として認められています。平均海抜750m〜800mにある畑はヨーロッパの中でも高地に位置します。日中には日照量が多く、夜は涼しく凝縮度を増すために質の良いぶどうが育ちます。代表的なワインはティント・フィノ(Tinto Fino)という名で呼ばれるテンプラニーリョ(Tempranillo)を単一もしくは75%以上を使って造られる赤、もしくはロゼワインです。

ビエルソで栽培されるぶどうは黒ぶどうのメンシア(Mencia)がほとんどです。そのほかは白ぶどうのゴデーリョ(Godello)も少量栽培されています。ビエルソのメンシアによる赤ワインは「スペインのピノ・ノワール」と例えられ、国際的な高評価を受けるものもあります。

ルエダではスペインで今最も売れている白ワインが造られています。使われているぶどう品種はルエダで古くから栽培されているヴェルデホ(Verdejo)です。ヴェルデホを用いたワインは爽やかな柑橘の香りにしっかりしたボディのキリッとした味わいが特徴です。

まとめ

カスティーリャ・イ・レオン州の文化と食について、歴史を遡りつつ紹介しました。

歴史的な遺産や美しい街、そして美味しいワインと食に恵まれたカスティーリャ・イ・レオンの魅力はここでは語り尽くせないほどまだまだたくさんあります。スペインで最もスペインらしい、カスティーリャ・イ・レオン州のワインと食を味わなければ、スペインを体験したとは言えない、と言っても過言ではないのかもしれません。

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