スペインは、イタリアと中国に続いて世界遺産が多く、2021年7月現在で49の世界遺産があります。
その内、2021年7月25日に「プラド通りとブエン・レティーロ、芸術と科学の景観」(Paseo del Prado y el Buen Retiro, paisaje de las artes y las ciencias)が追加になり、マドリード州の世界遺産はついに5つになりました。その中でも今回は主に3つの世界遺産をご紹介します。
2021年7月25日に「プラド通りとブエン・レティーロ、芸術と科学の景観」(Paseo del Prado y el Buen Retiro, paisaje de las artes y las ciencias)が追加になり、マドリード州の世界遺産は5つになりました。)
ワインと縁のある世界遺産もあるので、興味を持たれたら、旅の計画を立ててみるのも良いかもしれません。
ワイン醸造の守護聖人・サン・ロレンソに捧げられた修道院
1984年、「マドリードの修道院とその遺跡」として世界遺産に選ばれたエル・エスコリアル修道院(Monasterio de El Escorial)。マドリードの北西約50kmの場所にあり、マドリードからは約1時間で到着することができます。
エル・エスコリアル修道院は、グアダラマ山脈(Sierra de Guadarrama)の麓(ふもと)、標高1028mに位置する、宮殿と王家の霊廟・修道院からなる複合施設です。
正式名称は、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院王室御用邸(Monasterio y Real Sitio de San Lorenzo de El Escorial)といいます。
スペインの国王であったカルロス1世(Carlos I=神聖ローマ帝国カール5世, Karl V)が静寂に包まれた場所に墓を建てるよう遺言を残したため、カルロス1世の子であるフェリペ2世(Felipe II)はこの場所を選び、1563年から約20年間かけて完成させました。
約20年といえば、かなり長いように感じますが、部屋の数は4000以上あり、南北約210m、東西約160mに渡る広さのため、当時としては異例の早さだったそうです。
建築家はローマのサン・ピエトロ大聖堂の次席建築家を務めたフアン・バウティスタ・デ・トレド(Juan Bautista de Toledo)で、彼が亡くなってからは、弟子の建築家ファン・デ・エレラ(Juan de Herrera)が引き継ぎました。
エル・エスコリアル修道院の正式名称に含まれているサン・ロレンソ(イタリア語読みでサン・ロレンツォ、ラウレンティウス, Laurentiusとも呼ばれています)は、258年にローマで殉教した、スペイン出身の聖人です。
スペインは、1557年8月10日にサン・キンティン(San Quintín, フランス語でサン・カンタン,Saint-Quentin)の戦いでフランス軍に勝利しました。サン・ロレンソの命日である8月10日に勝ったことや、この戦いでサン・ロレンソの寺院を焼失してしまったこともあり、償いのために修道院をサン・ロレンソに捧げることになりました。
ワインやビール醸造者の守護聖人でもあるサン・ロレンソ。そのため、スペインではサン・ロレンソ、イタリアではサン・ロレンツォという名がついたワインも造られています。
サン・ロレンソは焼き網で焼かれて殉教したため、エル・エスコリアル修道院の外観は、装飾性を排除し、左右対称で、焼き網のように直線を多用した、エレラ様式(Estilo Herreriano,建築家エレラの名前にちなんだ)のデザインになっています。
エル・エスコリアル修道院は、外観のシンプルさとは対照的に、内部は絢爛豪華な内装に仕上がっています。
ティバルディ(Pellegrino Tibaldi)が描いた天井のフレスコ画が印象的な図書館(Biblioteca)は、数回火災などの被害に遭っていますが、今も40万冊以上の本が展示されています。サン・ロレンソは、図書館員の守護聖人でもあるそうです。
司教参事会会議室(Salas Capitulares)には、ヴェネツィア派のティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の作品やエル・グレコ(El Greco)作「聖マウリシオの殉教」などが飾られています。
エル・グレコは、当時、本名のドメニコス・テオトコプーロス(Doménikos Theotokópoulos)という名で活動していましたが、フェリペ2世が「聖マウリシオの殉教」を気に入らなかったため、宮廷画家の道が閉ざされました。
そのため、トレドに移ることになり、そこで大活躍するようになります。
華やかな部屋が数ある中、フェリペ2世の部屋は、寝室と書斎のみのシンプルな作りになっています。フェリペ2世は「慎重王(El Prudente) 」と呼ばれ、事務作業が得意で、外向的な父とは対照的だったそう。
フェリペ2世の部屋のドアの1つは、開くと聖堂(La Basílica)につながっているため、晩年はベッドに寝たまま、ミサにあずかっていました。
歴代の王や王妃がまつられる霊廟(Los Panteones) は、聖堂の地下にあります。
エル・エスコリアル修道院は、1584年に天正少年使節団が3日間滞在したことでも知られています。
大学の食堂でセルバンテスゆかりの料理とワインを
画像 wikipedia photo by Raimundo_Pastor
1998年に「アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区」として世界遺産に選ばれたアルカラ・デ・エナレス(Alcalá de Henares)は、「ドン・キホーテ(Don Quijote、Don Quixote)」の作者であるセルバンテス(Cervantes)の出身地として知られています。
マドリードから東に30kmほどの距離にあり、電車だと35~50分で到着することができます。
アルカラ・デ・エナレスは、計画に基づいて作られた、世界で初めての大学都市です。
1499年、ヒメネス・デ・シスネロス(Jiménez de Cisneros)枢機卿が、サン・イルデフォンソ学院(Colegio Mayor de San Ildefonso)をこの場所に開校しました。
サン・イルデフォンソ学院は、アルカラ・デ・エナレスの旧名コンプルトゥム(Complutum)にちなみ、「コンプルテンセ大学(Universidad Complutense)」とも呼ばれています。
1836年に大学機能はマドリードに移転しましたが、1977年にアルカラ大学(Universidad de Alcalá)が再び開校しました。
アルカラ大学のガイド付きツアーでは、
建築家ロドリゴ・ヒル・デ・オンタニョン(Rodrigo Gil de Hontañón)が手がけた、浮彫の装飾が銀細工(プラテリーア,Platería)を思わせるプラテレスコ様式(Estilo plateresco)のファサード(façade)
スペイン語圏の文学賞としては最大のセルバンテス文学賞(Premio de Literatura en Lengua Castellana Miguel de Cervantes)の授賞式が毎年4月23日に開催される、ムデハル様式(Estilo mudejar, イスラム建築とキリスト教建築が融合した建築様式)の格天井が特徴のパラニンフォ講堂(Paraninfo Universitario)
などを見学することができます。
大学内には、旧サン・ヘロニモ寮(San Jerónimo)を改装した「学生のオステリア(オステリア・デル・エストゥディアンテ,Hosteria del Estudiante)」というレストランもあり、「ドン・キホーテ」に登場する、「哀悼と悲嘆(ドゥエロス・イ・ケブラントス,Duelos y quebrantos)」という変わった名前がついた料理を食べることもできます。
「ドゥエロス・イ・ケブラントス」は動物の内臓や卵などを塩豚の脂身で味付けした料理で、スペインのカスティーリャ地方(Castilla)では、食事制限のある土曜日に、精進料理のように食べたそうです。ワインのお供に、注文してみてはいかがでしょうか。
アルカラ・デ・エナレスの他の見どころとしては、
セルバンテスが生まれた場所で、彼の父親が外科医として勤めていた、現存するスペイン最古の病院であるアンテサナ病院(Hospital de Antezana)
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像と記念撮影できる、セルバンテスの家(Museo Casa Natal de Cervantes)
などもあります。
いちご列車に乗ってブルボン家の春の離宮へ
マドリードから南に約47km、電車やバスで約1時間の場所にあるアランフェスは、「アランフェス(Aranjuez)の文化的景観」として、2001年に世界遺産に選ばれました。
現在アランフェス王宮(Palacio Real De Aranjuez)がある場所には、もともと騎士団の宿舎が建っていたのですが、カスティーリャ女王イサベル1世(Isabel I de Castilla)とアラゴン王フェルナンド2世(Fernando II)の時代に、王家の領地になります。
王宮の建設は、イサベル1世のひ孫である、ハプスブルク家(Haus Habsburg)のフェリペ2世が1561年に開始。ブルボン家(Maison de Bourbon)のカルロス3世(Carlos III)の時代まで、約200年がかりで完成しました。
フェリペ2世は、エル・エスコリアル修道院と同じく、フアン・バウティスタ・デ・トレドに宿舎の建て替えを依頼。彼が亡くなった後は、ファン・デ・エレラが任務を引き継ぎました。
火災などに見舞われた宮殿は、ブルボン家のフェルナンド6世(Fernando VI)の時代に、サンティアゴ・ボナビア(Santiago Bonavía)によって再建されます。
1747年には、同じくボナビアによって、アランフェスの旧市街もバロック様式(Baroque Architecture)に整備されました。
1775年、カルロス3世が、フランチェスコ・サバティーニ(Francesco Sabatini)に、王室礼拝堂などを含めた2つの翼廊(よくろう)を依頼し、王宮は完成しました。
王宮内には300を超える部屋がありますが、中でも、イタリア人彫刻家ジュゼッペ・グリッチ(Giuseppe Gricci)作のエナメルを塗った磁器パネルが壁一面に貼られた「磁器の間」(Sala de Porcelana)は、特に見逃せないスポットです。
グリッチは、マドリードにある王宮の「磁器の間」も手がけています。
王宮の完成後、カルロス4世(Carlos IV)が、カントリーハウスにする予定で「王子の庭園」(Jardín del Príncipe)内に「農夫の家」(La Casa Del Labrador)を建てましたが、1798年に新古典主義(Neoclásico)の豪華な宮殿にリニューアルすることを決めます。
リニューアルは、プラド美術館を建築したことで知られる、ファン・デ・ビジャヌエバ(Juan de Villanueva)が担当しました。
「王子の庭園」内には、タホ川の舟遊びに使われた舟を展示する「王家の小舟博物館」(Museo de las Falúas)もあります。
アランフェスは、ブルボン家の時代(~1870年、イサベル2世(Isabel II)まで)に、春の離宮として使われていたことでも知られています。
いちごやアスパラガスが名物のアランフェス。
春から夏にかけては、車内でいちごが配られる観光列車 「いちご列車」(Tren de Fresa)も運行するので、興味のある方は乗車して、アランフェスを訪れてみてくださいね。
手つかずの自然が残る、穴場な世界遺産
マドリードの北東約90kmに位置し、車に乗れば約1時間30分で到着することができます。
モンテホのブナ林は、リンコン山脈生物圏保護区(Reserva de la Biosfera de la Sierra del Rincón)内の250ヘクタールのブナ林で、ヨーロッパで最南端のブナ林の1つといわれています。
リンコン山脈生物圏保護区には、800種類以上の植物や194種類の脊椎動物も生息しているので、ここでしか見ることができない、貴重な動植物も発見できるかもしれません。
モンテホのブナ林には、
車いすでも通れる「リバールート」(Senda del Río)
勾配がきつめの「山腹ルート」(Senda de la Ladera )
展望台へ続く「展望台ルート」(Senda del Mirador)
という3種類のハイキングルート(4~6km、所要時間2~3時間)があります。
ハイキングルートは無料ガイドツアーに参加しないと歩くことができないので、あらかじめインターネット予約してから出かけることをおすすめします。もし、当日の定員に空きがあれば、先着順で参加することもできますよ。
秋の紅葉の時期は人気なので、予約はお早めに。
まとめ
今回ご紹介したマドリード州の世界遺産は、マドリードから1時間以内で行ける場所が大半です。
マドリードに連泊される際には、ぜひ日帰り旅行してみてはいかがでしょうか。