カイザル髭と目を見開いた表情がトレードマークのダリは、最近はNetflixのドラマ「ペーパー・ハウス」(La casa de papel)でお面が使われたことでも知られています。
この文章では、ダリのアーティスト人生や作品、ダリとワインの関わりなどについて、迫ってみたいと思います。
波乱万丈な天才ダリの生涯
ダリ(Salvador Dalí i Domènech)は、1904年、バルセロナ(Barcelona)の北西に位置する、カタルーニャ州(Catalunya)フィゲラス(Figueres)で生まれました。
ダリは、生まれる9ヶ月前に亡くなった兄と同じサルヴァドールという名前をつけられたことから、自分は兄の身代わりなのではないか、という思いに、終生囚われることになりました。
小さなころから絵の才能があったダリは、12歳でフィゲラス市が運営するデッサンの学校に通うようになります。
1919年、フィゲラス市立劇場(Teatro Municipal de Figueres、現在のダリ劇場美術館、 Teatro-Museo Dalí)で開催されたグループ展に参加。
1922年には、マドリードにあるサン・フェルナンド美術アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)に入学します。
「学生寮」(Residencia de Estudiantes)では、詩人ガルシア・ロルカ(Federico García Lorca)や映画監督ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)と出会い、1929年には「アンダルシアの犬」(Un perro andaluz)という短編映画を、ルイス・ブニュエルと共作で制作しました。
同じく1929年、パリでカタルーニャ州出身のジョアン・ミロ(Joan Miró)にアンドレ・ブルトン(André Breton)が率いるシュールレアリスム(Surréalisme)のグループを紹介してもらい、夏にはシュールレアリスムグループのメンバーの一部が、カダケス(Cadaqués)にあるダリの家を訪れます。
詩人ポール・エリュアール(Paul Éluard)と一緒に訪れた妻ガラ(Gala)は、そのまま家に残り、ダリの生涯の伴侶となりました。
1931年、初期の代表作「記憶の固執」(La persistencia de la memoria)を製作。ニューヨークなどのグループ展で展示し、話題に。
しかし、1933年に制作した「ウィリアム・テルの謎」(The Enigma of William Tell)という作品が、ロシアの革命家レーニン(Vladimir Il'ich Lenin)を侮辱したと解釈されたことや常軌を逸したパフォーマンスや言動が反感を買い、1939年にはシュールレアリスムグループから除名されます。
その一方、複数のパトロンの支援を受けたり、映画やバレエ、ファッション、家具作りなどジャンルにとらわれない仕事を引き受けたり、ダリは八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せました。また、古典絵画を自分なりに解釈した作品も描きます。
アンドレ・ブルトンは、そんなダリに「Salvador Dalí」のアナグラムで「ドル亡者」(Avida Dollars)というあだ名をつけました。
1940〜1948年には、ドイツ軍から逃れるため、ニューヨークで亡命生活を送っていたダリ。
スペインに帰国後は、ガラをモデルにした「宗教画」や科学の影響を受けた「原子絵画」などを発表します。
トリックフォトや3Dアートなど、年を重ねても様々なチャレンジをしたダリですが、1960年代ころからは、浪費するガラのために、金銭目的の仕事を中心に受けざるを得なくなり、贋作問題なども発生してしまいます。
1982年にガラが亡くなった後は意気消沈し、1989年に亡くなるまでは、ほとんど制作を行いませんでした。
ダリの代表作~正統派からアバンギャルドまで~
もっとも有名なダリの代表作は、「やわらかい時計」とも呼ばれる「記憶の固執」でしょう。ダリは食べ残しのカマンベール・チーズ(Camembert cheese)を見て、このアイデアを思いついたそうです。
(引用元:Artpedia)
スペイン絵画の伝統的な主題であるボデゴン(Bodegón,厨房画)を描いた「パン籠」(La cesta de pan,1926年)は、パンや籠があまりにもリアルで、ダリの圧倒的な画力に驚かされます。
ちなみに、ボデゴンは、「酒蔵」を意味するボデガ(Bodega)から派生した言葉です。
他の代表作としては、
スペイン内戦を予言して描かれたともいわれる「茹でたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」(Construcción blanda con judías hervidas (Premonición de la Guerra Civil, 1936年)
(引用元:Artpedia)
第二次世界大戦を予言した作品ともいわれ、身体に引き出しのある人物や燃えるキリンなどが登場する「燃えるキリン」(La jirafa en llamas,1937年)
(引用元:Artpedia)
ガラをモデルに、細密画技法で宙に浮いている聖母を描いた「ポルト・リガトの聖母」(La Madonna de Port Lligat,1950年)
(引用元:Artpedia)
他の魚よりも成長スピードが格段に早いマグロに魅かれたダリが、バチカン(Vatican)のシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)や古代都市ペルガモン(Pergamon)の思い出を組み合わせて描いた「マグロ漁」(La pesca del atún,1967年)
(引用元:MUSEY)
などがあります。
「マグロ漁」は、フランスの洋酒メーカー・ペルノ・リカール(Pernod Ricard S.A.)を創立したポール・リカール(Paul Ricard)が購入しました。
(引用元:Artpedia)
受話器の部分がロブスターになっている「ロブスター電話」(Teléfono Langosta,1936年)やアンネ・フランク(Anne Frank)の親戚でデザイナーの、ジャン・ミシェル・フランク(Jean-Michel Frank)の依頼で制作した「メイ・ウエストの唇ソファ」(Mae West Lips Sofa,1937年)など、シュールでいながら実用的な作品もダリは作っています。
(引用元:Artpedia)
「チュッパチャップス」(Chupa Chups)の初代パッケージのロゴをデザインしたのも、ダリでした。(1968年)
スペインに行ったら立ち寄りたいダリゆかりの場所
ダリにゆかりのある3つの場所は、線でつなぐと三角形のようになるため、ダリニアントライアングル(El triángulo daliniano)と呼ばれています。
・ダリ劇場美術館
スペイン内戦中に破壊されたフィゲラス市立劇場を改修して1974年にオープンした、ダリワールド全開の美術館です。
赤い外壁に貼られたパン型のオブジェや屋上に並ぶ卵、エミリオ・ペレス・ピニェロ(Emilio Pérez Piñero)設計のジオデシック・ドーム(Geodesic dome)など、お菓子の家のようなメルヘンチックな外観に、目が釘付けになります
館内では、
階段の上から見ると、唇ソファや鼻型暖炉などのパーツがメイ・ウエストの顔に変身する「メイ・ウエスト・ルーム」(Sala Mae West)
コインを入れるとキャデラックの車内に雨が降る「雨降りタクシー」(Cadillac lluvioso)
(引用元:Artpedia)
近くで見るとガラの後ろ姿で、遠くから見るとリンカーン元大統領に見える「リンカーン 地中海を見つめるガラ」(Gala desnuda mirando el mar que a 18 metros aparece el presidente Lincoln,1975年)
ガラをモデルにした「ガラリーナ」(Galarina,1945年)、「レダ・アトミカ」(Leda atómica,1949年)、「球体のガラティア」(Galatea de las esferas,1952年)
など、約1,500点の作品を見ることができます。
地下の霊廟には、防腐処理されたダリが埋葬されているそうです。
・プボル城(Castillo Gala Dalí de Púbol )
1969年、ガラのためにダリが購入したゴシック様式(Gothic)のお城で、1982年にガラが亡くなった後は、ダリがアトリエ兼住居としました。
1996年から、美術館として公開されています。
玉座のように飾られた「無題、ガラの王位の風景」(Sin título. Paisaje en el trono de Gala,1974年)
その作品の隣に展示されている「無題、トロンプルイユのドア」(Sin título. Puerta Trompe-l'oeil,1972年)
という絵画などや
金属に描かれた「無題、ガラの肖像画」(Sin título. Retrato de Gala,1971年)、
庭の象型噴水などが見どころです。
ガラのドレスコレクションや愛車も展示されています。
ガラ好みの落ち着いた雰囲気のお城で、地下にはガラが埋葬されています。
・サルバドール・ダリの家(Casa Salvador Dalí – Portlligat)
1982年にガラが亡くなってプボル城に移るまでは、ダリの唯一の家だった場所です。
ダリは、1930年にポルト・リガトの入り江に建つ漁師小屋を購入し、約40年かけて、増改築を行いました。
屋上にはダリとガラをイメージした卵型のオブジェが設置され、内部には描きかけの絵が置かれたアトリエやガラが設計した卵型の部屋、金色のワシのオブジェが2人を見守るベッドルームなどがあります。
男性のシンボル型プールのプールサイドでは、ミシュランマン(Bibendum)のオブジェやメイ・ウエストの唇ソファなども見ることができますよ。
これまでご紹介してきた3ヶ所は、それぞれ約40kmの距離があるので、ダリの定宿だったフィゲラスのデュラン(Duran Hotel & Restaurant)に1泊して、2日かけて巡ることをおすすめします。
スペインでは他に、マドリードにある「国立ソフィア王妃芸術センター」(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)でもダリ作品を見ることができます。
ダリのいきつけのお店とワインとの関わり
ダリとガラは、季節ごとにニューヨークやパリなどを転々とし、夏はポルト・リガトを中心としたスペインで過ごす習慣がありました。
貴族や富豪などとも食事したダリ。いきつけのお店も超一流のお店を利用することが多かったようです。
・ヴィア・ベネト(Via Veneto)
バルセロナ地下鉄のマリア・クリスティーナ駅(Maria Cristina,L3)とディアゴナル駅(Diagonal ,L3,L5)のほぼ中間にある、ミシュラン(Michelin)1つ星のレストランです。
50年前の姿を今にとどめるクラシカルな内装は、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
ダリは多くの側近(若い男女や友人たち)を連れて店を訪れていたのですが、ダリがお店のオーナー(José Monje)に質問した直後、側近たちがソーセージをオーナーの首にネックレス代わりにかけた、という面白い出来事もあったそうです。
ちなみに、ガラのバルセロナでのお気に入りの店は、今は無きリノ(Reno)だったため、ガラと食事する時は、ヴィア・ベネトの代わりにそちらのお店に行っていました。
お店の地下6mの場所にあるワインセラーには、カタルーニャ産の国産ワインやフランス産のワインなど、1万本以上のワインが保管されています。
・オルチェル(Horcher)
1904年にベルリン(Berlin)でオープンし、1943年にマドリードに移転した、クラシカルな雰囲気をたたえるドイツ料理のレストランです。
アルフォンソ12世通り(Calle de Alfonso XII)をはさみ、レティーロ公園(Parque de El Retiro)の向かい側に位置しています。
ヤマウズラの一部をプレスしてそのエキスをソースに加える料理(perdiz a la prensa)やバウムクーヘン(Baumkuchen)などが、お店の一押しメニューです。
ワインは、D.O.Ca.リオハ(Rioja)とD.O.リベラ・デル・ドゥエロ(Ribera del Duero)の赤が充実しています。
D.O.リベラ・デル・ドゥエロの赤では、
豚肉料理によく合う「パゴ・デ・カラオベハス」(Pago de Carraovejas )の同名のワイン(Pago de Carraovejas )
「パゴ・デ・ロス・カペジャーネス」(Pago de los Capellanes)が樹齢40年以上のテンプラニーリョから造った「パゴ・デ・ロス・カペジャーネス クリアンサ」(Pago de Los Capellanes Crianza)
が特におすすめです。
ダリとワインの関わりですが、
ポルト・リガトの自宅では、ペレラーダ(Peralada)のブリュット・ロゼ(Brut Rose)をよく飲んでいたそうです。
また、1958年には、シャトー・ムートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)のエチケット(Étiquette)用に、羊の絵を描いています。
ダリは、ロスチャイルド(Rothschild)家主催のシュールレアリスト舞踏会に参加したり、レストランでロスチャイルド家の人に会ったりするなど、日頃から付き合いがありました。
ちなみに、シュールレアリスト舞踏会はシュールレアリスムのかぶりものがドレスコードだったため、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)は鳥籠を、主役のロスチャイルド男爵夫人はダイヤモンドの涙をちりばめた牡鹿の頭をかぶるなど、なかなかシュールな光景が見られたようです。
まとめ
素顔や弱っている自分を見せることを嫌がり、いつでも天才ダリを演じていたダリ。
人がアッと驚く姿を見るのが、何よりも好きだったようです。
そんなダリは、自分自身が一番の作品だったのでしょう。
スペインを訪れる機会がありましたら、ダリゆかりの場所を巡ってみるのも楽しいかもしれません。