スペインワインはどこからはじまった?その起源や発展の歴史について解説 スペインワインはどこからはじまった?その起源や発展の歴史について解説

スペインワインはどこからはじまった?その起源や発展の歴史について解説

フランスやイタリアなどに並ぶワイン産地、スペイン。そのワイン生産の歴史はほぼ人類史とともにあると言っていいほど、遠い古の時代にまで遡ることができます。そしてその長い歴史を紐解くと、現在のスペインワインの発展には実にさまざまな国、地域、文化や歴史的事件が複雑に関わっていることがわかります。今回はスペインワインの起源やその発展の経緯、スペインワインに影響を与えている事柄、国について解説していきます。


スペインワインの起源は?どのようにして広まった?

スペインでぶどう栽培とワインの醸造が始まったのは今から3000年ほど前の紀元前1100年から紀元前500年あたりからと考えられています。当時南は南岸のカディス(Cádiz)から北東端までのスペイン東岸全域支配していた古代ギリシャ人やフェニキア人(Phoenicia)たちが自分たちの故郷からぶどうの木とワイン造りの技術を持ち込んだと言われています。ただ、一説[金谷1] ではフェニキア人たちが来る前の紀元前4000年から紀元前3000年の間にすでにぶどうが育てられていたとも言われます。

その後スペインのワイン醸造技術が発展したのは紀元前100年ごろです。イベリア半島をローマ帝国が支配するようになり、スペイン中南部のバルデペーニャスValdepeñas、北東岸のバルセロナ(Barcelona)、ジローナ(Girona)、タラゴナ(Tarragona)、南東岸のバレンシア(València)、バレアレス諸島(Islas Baleares)、南岸のバエティカ(Hispania Baetica)などにワイン産地が生まれました。この時代のスペインワインはヴェニス(Venice)やジェノヴァ(Genova)の商人によってローマ帝国内に持ち込まれ、人気を呼びました。ただ、この時代のワインは輸送に使われる樽の内側に塗られた防水用の松脂の味がしたり、香辛料や砂糖が加えられていたりなど、現在のものとはかなり異なる飲み物だったようです。

ローマ帝国が衰退するとイベリア半島はゲルマン民族の襲来を受け、ぶどう畑の大部分が荒らされてしまいます。その後西ゴート国が侵攻し、再びワイン醸造が持ち直されるのですが、8世紀からイスラム教徒の支配を受けるようになり、スペインのワイン醸造は一気衰退してしまいます。ただし、ワインの輸出がもたらす大きな利益は飲酒を禁ずるイスラム教徒にとっても捨てがたいものでした。たくさんのぶどう園が破壊されるなか、数カ所はワイン造りをゆるされたのです。 

イスラム教徒の支配後に大打撃を受けたスペインワインですが、スペインで再びワイン醸造が盛んになったのは11世紀後半ごろです。レコンキスタ(Reconquista /キリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動)によってスペイン北部にキリスト教国民が入植、キリスト教王国を作りました。そして、キリスト教徒によってぶどう栽培とワイン醸造が再開されたのです。

その後、スペインワインの存在が世界に知られるようになってきたのは15世紀の大航海時代以降です。その時代にスペインワインがイギリスを中心に世界に向けて市場を拡大、スペイン南東部の都市はワイン貿易で栄えました。

 

スペインワインに影響を与えている事柄、国は?

ここまでで、スペインワインがどのように生まれ、世界中で知られるような存在になったのかについてはお分かりいただけたかと思います。 

ここからは現代まで続くスペインワインの歴史に大きな影響を与えている国や事柄をいくつかピックアップし、解説していきたいと思います。

 

フェニキア人

フェニキア人は紀元前3000年から紀元前2000年ごろに地中海東岸中部にカルタゴ(Carthage)など、たくさんの都市国家や植民地を築いた海洋民族です。紀元前1500年から紀元前1000年ごろに地中海を交易するなかで古代ギリシャや地中海沿岸地域にワインを伝えました。ある調査[金谷2] では紀元前8から紀元前6世紀ごろに存在したフェニキア人居住地区で輸出用ワインを醸造していたと推測されています。ワイン発祥の地はジョージア(Georgia)とされますが、ワイン醸造の技術やワイン文化を最初に世界に広めたのはフェニキア人なのです。フェニキア人は神への捧げ物としてワインを使っていました。この習慣は後年、ユダヤ教とキリスト教に受け継がれていきました。

 

古代ギリシア

古代ギリシアはスペインにぶどう栽培とワインの醸造技術を伝えたと考えられる勢力のひとつです。ギリシア神話ではぶどう酒の神「ディオニソス(Dionysos)」が崇められていたほどです。また、国際的な会合に対して使われる「シンポジウム(Symposium)」という言葉は古代ギリシャの女人禁制の社交場にルーツがありますが、そこではワインが供されていた、と言われています。さらに、現在のソムリエ(Sommelier)という職業のルーツも古代ギリシャのワインの番をしていた奴隷階級にある、という説もあるほど、ワインは古代ギリシャの文化に深く根ざしていたのです。

 

ローマ帝国

ローマ帝国は間違いなくスペインワインの発展と伝播に欠かせない重要な存在です。 スペインに限らず現在のヨーロッパの西側諸国のワイン産地はすべてローマ帝国によって基礎が築かれたと言っても過言ではありません。ローマ時代には上流階級の男性だけでなく、女性や平民階級、農民、奴隷までもがワインを楽しむほどにワインが普及したのです。それに伴い、ワインの醸造は経済の発展にも大きく貢献し、重要な交易の品にもなったのです。ローマ帝国時代のワイン経済がどれほど広範囲に及んだかはワインの輸送と保管に使われたアンフォラ(Amphora)の発掘によって知ることができます。

 

キリスト教

キリスト教はレコンキスタ後のスペインにワイン醸造の習慣と伝統を伝える大きな役割を果たしました。ワインはキリスト教においてイエス・キリストの血を表します。新約聖書の福音書ルカ伝22章、マタイ伝6章によると磔にされる前の最後の晩餐において、

“パンをちぎって弟子に配り「取って食べなさい。これは私の体です。」

ワインを杯に注ぎ「杯を受けて飲みなさい。これは私の血の杯です。」“

とイエスが言ったとされ、このことをもとに、現在でも教会や修道院ではパンとワインを使った聖餐式を行い、自らの罪を神に許してもらうのです。このように、ワインはキリスト教にとって儀式のためには欠かせない飲み物であり、修道院では近くにぶどう畑を作り、ワイン造りを行なっていたのです。

 ただ、修道院などがワイン造りを行っていたのには宗教的な意味合い以外にも娯楽としての目的があったようです。修道士や司教などの身分になる人は上流階級出身であることが多かったため、上流階級の暮らしに普及していたワインは必要不可欠なものだったのです。また、当時の修道院は宿泊施設の少ないなか、高級ホテルのような役割も果たしていました。王家や高貴な身分の人間をもてなすため、自家製ワインが必要だった、という一面もあったようです。

 

フランス

フランスは近代のスペインワインの発展にとって非常に重要な役割を果たしています。19世紀後半、フランスはフィロキセラ(Pylloxera)害虫の大発生により、ぶどう畑が壊滅状態に追い込まれました。その際にボルドー(Bordeaux)などからたくさんのワイン生産者たちがスペインにこぞって進出し、ぶどう栽培と高度なワイン醸造の技術を伝えたのです。


 

まとめ

スペインワインの起源やその発展の経緯、スペインワインに影響を与えている事柄、国について解説しました。

私たちを楽しませてくれるスペインワインの持つ長い歴史やその背景に想いを寄せると、実に壮大なロマンが感じられます。ワインを味わいつつ、遠い遠い古の時代や当時の人々の思いについて考えてみる、という楽しみ方もまた一興、かもしれませんね。

 

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