年間生産量がスペイン最大であるワインの産地で、「ワインの湖」とも称されるカスティーリャ・ラ・マンチャ州の文化と食について、その歴史も振り返りながら紹介していきます。
カスティーリャ・ラ・マンチャ州とは
カスティーリャ・ラ・マンチャ州(Castilla la Mancha)はスペイン中央から南側に広がる州です。カスティーリャ・イ・レオン州(Castilla y León)、マドリード州(Comunidad de Madrid)、アラゴン(Aragón
)、バレンシア州(Comunitat Valenciana)、ムルシア州(Comunidad Autónoma de la Región de Murcia)、アンダルーシア州(Comunidad Autónoma de Andalucía)、エストレムドゥーラ州(Comunidad Autónoma de Extremadura)と接しています。
スペインを代表する作家、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra)の小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(Don Quijote de la Mancha)』の舞台となった地として世界的に有名です。
州都は世界遺産に登録された古都、トレド(Toledo)。アルバセーテ県(Provincia de Albasete)、シウダ・レアル県(Provincia de Ciudad Real)、クエンカ県(Provincia de Cuenca)、グアダラハーラ県(Provincia de Guadalajara)、トレド県(Provincia de Toledo)の5県で構成されています。アラビア語で「乾いた土地」という意味である「マンチャ」の名の通り、冬は寒く夏は酷暑となる典型的な大陸性気候で、夏は極度の乾燥に襲われるため白ワイン品種アイレンが多く栽培されています。
戦乱に巻き込まれた
カスティーリャ・ラ・マンチャ州の歴史
カスティーリャ・ラ・マンチャ州の中でも歴史の古いラ・マンチャ地方は現在のアルバセーテ県、シウダ・レアル県、クエンカ県とトレド県の大部分に相当する地域です。先史時代からの遺構も数多く残っています。
紀元5世紀にローマ帝国が崩壊すると、ゲルマン人の一派である西ゴート族が569年にトレドを首都にして西ゴート王国を興しました。しかしこの時期のラ・マンチャ地方の大部分は荒れ果てた無人の地域でした。
711年、ジブラルタル海峡を渡ってきたイスラム教徒たちが短期間のうちに北部を除いてイベリア半島のほぼ全域を制圧して支配を始めました。このイスラム教支配が及んだ地域は後にアル=アンダルスとよばれるようになります。イスラム教支配下のラ・マンチャは人口は少なかったものの繊維産業の重要な中心地となったトレド、クエンカ、アルカラス(Alcaraz)などの都市ができて発展しました。イスラム教徒たちはその進んだ灌漑技術によってこの地方の農業を大きく発展させ、メリノ種の羊を導入して牧畜業にも寄与しました。
その後イスラム教徒による支配は1085年にキリスト教国で後のスペイン王国の核となるカスティーリャ王国の版図に組み込まれるまで続きました。しかしその後もカスティーリャ王国はアル=アンダルスを統一したイスラム王朝・ムラービト朝と対峙し、ラ・マンチャは断続的に両軍による襲撃に合う戦場となり、無人化しました。スペインで初めて設立された戦闘騎士団であるカラトラバ騎士団(Orden de Calatrava)の創設者がこの地方に拠点を置き防御していましたがムワッビト朝にに敗北してしまいます。
再びラ・マンチャのほぼ全域がカスティーリャの支配下に入ることになったのは1212年のナパス・デ・トロサの戦い(Batalla de Las Navas de Tolosa)の後でした。ラ・マンチャ地方はその後地域ごとにカラトラバ騎士団、カスティーリャ王・アルフォンソ10世(Alfonso X)、聖ヨハネ騎士団、サンティアゴ騎士団によってそれぞれ支配されます。
ラ・マンチャ東部地域のマンチャ・デ・モンタラゴン地区(La Mancha de Montearagón) がキリスト教徒に再征服された後の1237年にこの地についての記録が残されています。その中で初めて地名に「マンチャ」が使われています。
その後もラ・マンチャのキリスト教支配は騎士団によって共同体として分割されて続きます。同時に戦場としての歴史も続き、カスティーリャの内戦、カスティーリャとアラゴンとの戦いの舞台となり、多くの被害を受けました。
15世紀になってもカスティーリャとラ・マンチャには王国内のさまざまな党派間の対立が巻き起こり、1475年には第二次カスティーリャ継承戦争が勃発。1479年にカトリック両王と呼ばれるカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel la Católica)とアラゴン王フェルナンド2世(Fernando el Católico)の勝利に終わり、その後両王は1492年にはナスル朝グラナダ王国を征服してイベリア半島のイスラム教支配を終わらせました。
それでもカスティーリャ王国内の内乱は16世紀まで続きました。その後カルロス1世の後を継いだフェリペ2世はカスティーリャとラ・マンチャからモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)を追放しました。
16世紀はラ・マンチャ地方の広大な地域に穀物を挽くための風車が建設された時代でした。この時期の社会とラ・マンチャの様子を描いたのが不朽の名作『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』です。
16世紀から17世紀の間、ラ・マンチャはスペインの他の地方同様にハプスブルグ家の支配する国外での戦争の影響を受け続けました。
また、17世紀から18世紀にかけ、行政の効率化のためにラ・マンチャ地方の再編が行われ結果ラ・マンチャ県、クエンカ県、トレド県にグアダラハーラ県とマドリード県を加えて新カスティーリャ地方が形成されました。
1833年イサベル2世の時代に現在のアルバセーテ県、シウダ・レアル県、クエンカ県、トレード県が創設され、最終的にラ・マンチャ県が消滅します。そしてシウダ・レアル県、クエンカ県、トレド県、マドリード県、グアダラハーラ県によってカスティーリャ・ラ・ヌエバ地方が、アルバセーテ県とムルシア県によってムルシア地方が設立されました。この地方分割案で後に変更されたのは1836年にそれまでアルバセーテ県に属していたビジェーナがアリカンテ県へ、1846年にシウダ・レアル県からビジャロブレードがアルバセーテ県へ、1851年にクエンカ県からウティエルがバレンシア県へと異動しました。
1906年、マドリードのラ・マンチャ地域センターによってラ・マンチャ地域主義が表明され、ラ・マンチャの旗、歌の制定とアルバセテ県、シウダー・レアル県、クエンカ県、トレド県によって構成されるラ・マンチャ地方の創設の支持が決められました。
民主化移行後、スペインは自治州に分けられることとなり、1982年アルバセーテ県、シウダ・レアル県、クエンカ県、グアダラハーラ県、トレド県により構成されるカスティーリャ=ラ・マンチャ自治州が創設されました。
カスティーリャ=ラ・マンチャ州の文化
複雑な歴史を持つカスティーリャ=ラ・マンチャ州の文化を象徴する建造物などを紹介していきます。
トレド大聖堂(Catedral de Toledo)
1986年に世界遺産登録された古都トレドを象徴するのがトレド大聖堂です。1226年にカスティーリャ王フェルナンド3世(Fernando III)時代に建設が始まりカトリック両王時代の1493年に完成しました。ブールジュのサン=テチエンヌ大聖堂を模したと言われ、13世紀のフランスゴシック様式の影響を受けています。と同時に、イスラム建築とキリスト教建築が融合したスペインとポルトガル独自の建設様式・ムデハル様式の装飾が細部に取り入れられています。全長120mで幅29m、鐘楼の高さは92mあります。
アユンタミエント広場(Plaza del Ayuntamiento)に面するファサード正面にはゴシック様式の『免罪の門』があります。その扉は現在閉ざされていますが、15世紀にはこの扉を通り懺悔をすると許しを得られたことからこの名がつけられました。門の上には18世紀に作られた『最後の晩餐』のキリストと12聖徒の像も門の上に並んでいます。
大聖堂内部には複数ある礼拝堂や約750枚のステンドガラスなど見どころがたくさん。キリストの生涯の20場面を表した壮大な木彫りの衝立と、新約聖書の場面が描かれた壮大な主祭壇。天使や聖母像がきめ細やかに装飾された、スペイン独自のバロック様式、チェリゲーラ様式の傑作『トランスパレンテ』。王冠や宝石、コロンブスが新大陸から持ち帰ったとされる金が使用された16世紀の聖体顕示台。複数の礼拝堂や総大理石の床、エル・グレコの作品の展示も必見です。
アルカサル(Alcázar de Toledo)
アルカサルとはスペイン語で城を意味し、アラビア語の宮殿、もしくは砦を意味する言葉に由来します。
トレドのアルカサルは3世紀にローマ帝国の宮殿として建てられ、12世紀のアルフォンソ6世(Alfonso VI)が要塞に改築しました。その後カルロス5世が改築させ、現在の建物の原型を作りました。
イスラム式のファサードには銃眼胸壁が残っていますが中世の城としての機能はなく、スペイン・ルネサンス様式で建てられています。スペイン内戦中の1936年に共和国軍の包囲戦によって破壊され、その後再建されて軍事博物館になっています。
アルカサルは王室の牢獄、王軍司令部、絹物商の工房、士官学校と、時代によってさまざまな用途で使われてきました。西がルネサンス様式で北がプラテレスコ様式、南がチュリゲーラ様式など、異なった時代の建築様式がこのアルカサルに同居しています。
コンスエグラ(Consuegra)
コンスエグラはトレドから南東に87km離れた街です。16世紀にネーデルランドから導入された風車が立ち並ぶ風景はまさに『ドン・キホーテ』の世界です。当時はラ・マンチャ地方のあちらこちらにあった風車群ですが、10木以上も観光用で残されているのは今はこのコンスエグラの11基と、コンスエグラから東に約40kmにあるカンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)の10基だけです。
コンスエグラの風車群のそばにあるコンスエグラ城は1183年に聖ヨハネ騎士団がイスラムの城を増強した歴史的な建造物です。スペイン独立戦争で破壊されてしまいましたが復元され、当時の姿を見せてくれています。
歴史的城塞都市・クエンカ
クエンカ県の県都クエンカはその特異な景色と歴史的な貴重さから「歴史的城塞都市」として世界遺産に登録されています。断崖絶壁にある街が離れた場所から見ると宙に浮いているように見え、「魔法にかけられた街」「空中都市」などと呼ばれることがあります。
クエンカはフカル川とウエカル川に挟まれた石灰岩の地質で傘の浸食や風化によってこのような地形になりました。クエンカに最初に住みついたのはイスラム教徒だったと言われています。9世紀ごろに居住地を築いた彼らは、天然の要塞状態のクエンカに石を積み上げて無敵の要塞を作り上げたのです。
その後12世紀にカスティーリャ王国の領土となり、王国の主要都市になります。織物工業を主に発展させ16世紀まで順調な成長を遂げ、現在も残る自然と建造物の織りなす独特の景観を作り上げました。
クエンカのシンボル的な建物は「宙吊りの家」と呼ばれています。14世紀に建てられ、市庁舎として18世紀ごろまで使用されていた建造物で、崖の上に迫り出すように建てられています。現在は「スペイン抽象美術館」として公開されているほか、レストラン『カサス・コルガータ(Casas colgada)』としても有名です。
カスティーリャ・ラ・マンチャ州の食
ラ・マンチャを舞台としたドン・キホーテにはチーズやパンやワイン、豚肉と豆のシチュー『オジャ ボドリータ(Olla podrida)』、ヤマウズラのローストなど、たくさんの料理が登場します。カスティーリャ・ラ・マンチャ州では現在でもドン・キホーテの世界で食べられていたような素朴な料理が数多く残っています。その中でも代表的な料理をいくつか紹介します。
ケソ・マンチェゴ(Queso Manchego)
『ケソ・マンチェゴ』(マンチェゴチーズ)はドン・キホーテにも登場するラ・マンチャ地方発祥のチーズです。マンチェガ種の羊の乳が原料とされる熟成期間の長いセミハードチーズで、羊の乳特有の甘さとほんのりとした辛さ、ナッツのような香りとともに干し草の香りも感じられます。
伝統的な作り方ではカゴを使って作られていたため、側面には特徴的な網目状の模様がつけられています。
甘みのあるケソ・マンチェゴは赤だけではなく白ワインにもよく合います。スライスしてそのまま食べるのが一般的ですが、下味をつけて小麦粉と溶き卵をつけてオリーブオイルで揚げる食べ方もあります。
ピスト・マンチェゴ(Pist Manchego)
『ピスト・マンチェゴ』はフランスのラタトゥユやイタリアのカポナータに似た料理で、ラ・マンチャ風野菜煮込みと呼ばれます。玉ねぎやトマト、ピーマンやズッキーニなどの夏野菜と、オリーブオイル、ハモン・セラーノなどを使って作られ、目玉焼きをのせるのがラ・マンチャ風です。さっぱりとした味わいはロゼワインとの相性がぴったりです。
ベレンヘナス・デ・アルマグロ(Berenjenas de Almagro)
ベレンヘナス・デ・アルマグロはドン・キホーテに登場するナスの酢漬けです。シウダ・レアル県のアルマグロ(Almagro)は質の良いナスの産地として知られています。このアルマグロの緑の小ナスを使って作られ、ラ・マンチャのタパス(Tapas)の定番です。日本では映画『茄子アンダルシアの夏』に登場することからアンダルシア名物だと勘違いする方も多いようですが、実はラ・マンチャ地方の名物なのです。
ガチャス(Gachas)
『ガチャス』はラ・マンチャ地方の郷土料理です。アルモルタという豆の粉を豚バラ肉、にんにくやパプリカの粉などと一緒に煮込んで作られる濃厚なペースト状の料理で、パンにつけて食べられます。アルモルタの粉はスペインでもラ・マンチャ地方以外では手に入りにくい食材です。
ガチャスは食料の乏しかった時代にこの地方の人を支えてきた料理料理でした。今では郷土料理として、また、グルメな人が好む料理として貴重な存在となっています。
モルテルエロ
クエンカの、豚の肝臓、パン屑、スパイスを混ぜて作るパテのような料理で、リゾットなどのトッピングとして使われます。モルテルエロは11世紀から記録に残っている料理で、『モルテロ』というすり鉢で作ることからこの名前になりました。豚のレバーの他にもさまざまなジビエのレバーが使われるようです。
ドゥエロス・イ・ケブラントス(Doelos y Quebrantos)
『ドゥエロス・イ・ケブラントス』はドン・キホーテに登場するラ・マンチャ地方の代表的伝統料理です。ポークミンチと卵を使いますが、揚げパンに乗せたり、スクランブルエッグ風だったり、さまざまな調理法があります。料理名を訳すと『決戦と苦悩』。なんだかドラマチックな名前ですが、戦いに引き連れて命を落とした馬やロバなどの脳味噌や脂身を食べたためこのような名前がついた、という説が有力です。カトリックの戒律で肉や卵を食すことを許されていた土曜日に食べる料理で、ドン・キホーテにも土曜日に食べる料理として登場します。
フローレス・マンチェガス(Flores Manchegas)
『フローレス・マンチェガス』はラ・マンチャ地方の伝統菓子で、イースターの定番です。花形を象ったその形はカラトラバ騎士団のシンボルの十字架がモチーフになっています。
専用の長い柄に小麦粉や卵、水や塩を混ぜた生地をつけて揚げ油に入れてサクッと揚げ、蜂蜜や粉糖、シナモンシュガーなどをかけて頂きます。これは余談ですが、作り方もそっくりの花形の揚げ菓子がラ・マンチャから遠く離れたスリランカに、新年のお菓子として存在します。17世紀にポルトガルの支配を受けたときにこのフローレス・マンチェガスが何らかの形で伝わったのでは?と想像してみると面白いです。
カスティーリャ・ラ・マンチャ州のワイン
カスティーリャ・ラ・マンチャ州にはD.O.(スペインの原産地呼称)が8つ、ビノ・デ・パゴ(Vino de Pago・単一ぶどう畑限定高級ワイン)が6種あります。最も有名なD.O.はラ・マンチャで、リーズナブルで高品質なワインの産地として知られ、白ワインが全体の75%を占めています。伝統的な製造方法では濃いレモン色をしたニュアンスのあるどっしりとしたワインに仕上がり、現代の方法では早摘みしたぶどうが使われ、フレッシュなアルコール度数の低い、飲みやすいワインに仕上がります。
もう1つ有名なD.O.はバルデペーニャス( Valdepeñas)です。この地域のワイン生産はなんと紀元前5世紀にまで遡るとされています。昔から高品質なワインが作られることで知られ、赤ワインの生産が80%を占めています。
まとめ
カスティーリャ・ラ・マンチャ州の文化と食について、歴史を遡りつつ紹介してきました。
スペインきってのワイン産地、カスティーリャ・ラ・マンチャ州には興味深い歴史と文化的遺産、そして、魅力的な伝統料理がいっぱいです。いつか直接訪れて、ドン・キホーテの気分になって色々な料理とワインを楽しみたいものです。