スペインの国旗の意味とは?スペインの歴史とあわせて解説します スペインの国旗の意味とは?スペインの歴史とあわせて解説します

スペインの国旗の意味とは?スペインの歴史とあわせて解説します

スペインワイン好きの方であればスペインの国旗はどんな旗?といわれたらすぐに思いつくでしょうか。スペインの国旗にはスペインの歴史的背景やその国柄が込められています。今回はスペイン国旗について、スペインの歴史とあわせて解説します。


色の意味

上から赤、黄、赤の3つの横縞で構成されているスペインの国旗ですが、別名では「血と金の旗」それぞれの色には意味があります。つまり、赤は血を意味し、黄は金を意味する、ということになるのですが、血はスペインにやってきた外敵を撃退したときに流されたもの、金は豊かさや富の象徴とされています。ちなみに、スペインでは自国の国旗を「Rojigualda(ロヒグアルダ)」とも呼びます。これは、「Rojo(ロッホ/赤)」と「Gualda(グアルダ/落ち着いた黄)」を組み合わせた言葉です。

赤、黄はかつてスペインに存在したカスティーリャ(Castilla)、ナバラ(Navara)、アラゴン(Aragón)の各王国の国旗で使われていました。つまり、この配色はスペインの伝統的なものなのです。ただ、1931年から1939年までの第二スペイン共和国時代にはこの配色に、紫が加わったことがあります。


描かれている絵の五つの国とは

スペインの国旗のまんなかの幅広い黄の横縞には、左側に紋章が描かれています。この紋章をよく見ると、いくつかの部分で構成されていることがわかります。まず、上の部分は王冠です。この王冠は君主制、またはスペイン国王を表しています。紋章の両端にある、王冠のついた白い柱は「ヘラクレスの柱」と呼ばれます。ヘラクレスの柱はジブラルタル海峡の両岸を表現していて、巻きついた赤いリボンにはスペインの国の標語である「Plus Ultra(プルス・ウルトラ/ラテン語で、さらに彼方へ)」と書かれています。ちなみに、このリボンに描かれた標語は、コロンブスによるアメリカ大陸の発見以前は「Non Plus Ultra(ここは世界の果てである)」と書かれていました。また、柱の左側の柱の王冠はカルロス1世の王冠であり、右側の柱の王冠はスペインの王家の王冠です。

王冠とヘラクレスの柱の中にはかつてスペインに存在した五つの国の紋章が描かれています。まず、左上の城はカスティーリャ王国(Reino de Castilla)、右上の獅子はレオン王国(Reino de León)の紋章です。また、左下の縦縞はアラゴン王国(Reino de Aragón)、右下の鎖はナバラ王国(Reino de Navarra)の紋章。そして、下に描かれたザクロはグラナダ王国の紋章です。そして、各国の紋章の真ん中にはアイリスの花を表したブルボン王朝の紋章が描かれています。


スペインの歴史

スペインの国旗にはさまざまな要素が込められていることがここまででおわかり頂けたのではないでしょうか?ここで、さらに理解を深めるためにスペインの歴史をおおまかに説明していきたいと思います。

スペインのあるイベリア半島には120万年前から人類が住んでいたことがわかっています。スペイン北部のカンタブリア州(Cantabria)のアルタミラ洞窟(Cueva de Altamira)には紀元前15000年くらいに描かれた壁画があることは日本に住む私たちにも馴染みがあるのではないでしょうか。

イベリア半島に統一国家が初めて形成されたのは紀元前12世紀、フェニキア人(Phonicia)がヨーロッパで最古の都市カディス(Cádiz)を現アンダルシア州(Andalucía)カディス県に建設した頃に遡ります。その後紀元前3世紀にローマ人が半島を制圧し、紀元後4世紀後半にゲルマン民族大移動によってローマ帝国が東西に分裂、西ゴート王国がイベリア半島を支配しました。そして、6世紀半ばには現カスティーリャ・ラ・マンチャ州(Castilla-La Mancha)のトレド(Toledo)に遷都し、その後200年ほどキリスト教国家を維持しました。

その後8世紀の前半、イスラム勢力のウマイヤ朝は西ゴート王国を滅ぼしイベリア半島の大部分を支配し、その版図をアラビア語で「アル・アンダルス(Al-Ándalus)」と呼びました。いっぽう、キリスト教勢力は現在のアストゥリアス州(Principado de Asturias)、カンタブリア州、ナバーラ州(Navarra)、北部アラゴン州(Aragón)に逃れてアストゥリアス王国(Reino de Asturias)を築き、やがてレコンキスタ(Reconquista)を始めます。

ウマイヤ朝はその後、後ウマイヤ朝となり、その首都コルドバ(Córdoba)はトレドと並んで西イスラム文化の中心地として発展、10世紀には世界最大の人口を持つように。11世紀に後ウマイヤ朝は滅び、トレドはカトリック勢力のカスティーリャ王国に征服されました。その後イスラム勢力は小王国群にセビリア王国(Taifa de Sevilla)、トレド王国(Taifa de Toledo、あるいはReino de Toledo)、サラゴサ王国(Taifa de Zaragoza)、グラナダ王国(Taifa de Granada)、バレンシア王国(Regne de Valencia)などに分裂し、徐々にその勢力を失います。

レコンキスタの中心となったのは、ポルトガル王国、カスティーリャ王国、アラゴン王国です。カスティーリャ王国の女王イサベル1世(Isabel I de Castilla, Isabel la Católicaと、アラゴン王国の国王フェルナンド2世(Fernando II、Fernando el Católico)は結婚、2人はカトリック両王と呼ばれ、1479年に両国が統一されてスペイン王国となります。そして、1492年イスラム勢力の最後の拠点、グラナダはスペイン王国によって陥落、レコンキスタが完了しました。

カトリック両王の長男カルロスはやがてスペイン国王に即位しますが、スペイン語が話せない彼に反発するものが反乱、しかし翌年には収束。そして、スペイン・ハプスブルグ朝が成立し、カルロスはカール5世(Karl V)としてローマ皇帝に即位し、ハプスブルグ家はその興隆の頂点を極めました。

1492年にイサベル1世に援助されていたコロンブスがアメリカ大陸を発見、大航海時代に入ります。1494年にはポルトガルとの間に両国が世界を二分するという取り決めをしました。しかし、その結果スペインはアステカ文明やマヤ文明を滅ぼしてしまうことにもなりました。また、1545年に発見された現ボリビアのポトシ銀山の発見により、スペインには金や銀など莫大な富がもたらされ、カール5世統治から17世紀前半までの約80年間は黄金の世紀と呼ばれました。そして、1571年にはオスマン帝国を倒し、1580年にはポルトガルを併合し、ブラジル、アフリカ、インド洋などが植民地として獲得し「太陽の沈まない国」と呼ばれるほどの栄華を極めました。

大帝国となったスペインはその海軍が無敵艦隊と呼ばれました。しかし、1588年のアルマダ海戦でイングランド海軍に敗れてしまうと徐々に制海権を失い、勢いを失います。また、1568年から1648年にかけて続いた八十年戦争によって17世紀前半の世界経済の中心地、オランダを失い、1640年にはポルトガルが独立。1648年の三十年戦争と1689年の西仏戦争で敗北、スペインの黄金時代は終焉します。

1701年からのスペイン継承戦争におってフランス王ルイ14世(Louis XIV)の孫でブルボン家出身のフェリペ5世が即位し、スペイン・ブルボン王朝が誕生しました。ただ、スペインはイギリスにジブラルタル海峡を割譲することになりました。1789年のフランス革命ではナポレオンが進駐し、ナポレオンの兄がスペイン王ホセ1世(José I)として即位します。これに対してマドリード市民が反発し半島戦争がはじまります。その後スペインはポルトガル、イギリスと連合して勝利、ナポレオンに座を奪われていたカルロス4世の子フェルナンド7世(Fernando VII)が王の座につきました。しかし、フェルナンド7世が絶対君主政を復活させようとしたため、自由主義者たちが反発し、国内は混乱。その波は植民地にまで伝わり、各地で独立運動が勃発し、中南米の各国が次々に独立宣言を出しました。

1833年フェルナンド7世が亡くなった後は絶対王政派と自由主義派の間で40年以上続く王位争いが起こり、革命と王政復古を繰り返すことに。最後は自由主義派のイザベル2世(Isabel II)が勝利し、スペインの絶対王政は終焉しました。

その後の第一次世界大戦では中立を保ったもののインフレが起きて国民生活は困窮。また、労働運動が激化し、カタルーニャやバスクの独立運動が始まります。しかし1923年にプリモ・デ・リベラ将軍(Miguel Primo de Rivera y Orbaneja)によるクーデターで独裁政権が誕生しますが、国民はこれに反発。1930年に政権は倒れ、1931年にアルフォンソ13世 (Alfonso XIII)は国王の座を追われ、第二共和制が誕生します。

第二共和制の時代、左派の人民戦線政府と右派のフランシスコ・フランコ将軍(Francisco Franco Bahamonde)との間で対立がおき、1936年にスペイン内戦が勃発し、フランコ将軍が勝利。その後1975年の彼の死まで独裁体制が続きます。

フランコ将軍は遺言で後継者をブルボン家のフアン・カルロス1世(Juan Carlos I)に指定。しかし彼は即位ののち独裁体制は引き継がず、民主化を図りました。そして47年ぶりに1977年には総選挙を行い、スペインは議会政君主国となりました。


まとめ

今回はスペイン国旗について、スペインの歴史とあわせて解説しました。スペインワインをきっかけに、スペインという国への理解もぜひ、深めていただければと思います。

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