スペイン出身の画家といえば、真っ先に思い浮かぶのはピカソ(Picasso)ではないでしょうか。
天才と呼ばれたピカソは、20世紀を代表する画家といっても過言ではありません。
この文章では、ピカソの作風の変遷、スペインでピカソ作品が見られるスポットと共に、ピカソとワインとの関わりもご紹介します。
ピカソについて
ピカソは、1881年、アンダルシア州(Andalucía)のマラガ(Málaga)で生まれました。
ピカソのフルネームはかなり長いので、通常はパブロ・ルイス・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso)という名前で呼ばれています。父方の姓がルイス、母方の姓がピカソですが、ピカソという苗字の方が珍しいので、ピカソと名乗ったそうです。
父は美術教師兼画家で、父の転職に伴い、家族でマラガからガリシア州(Galicia)ア・コルーニャ(A Coruña)、そしてカタルーニャ州(Catalunya)バルセロナ(Barcelona)へと引っ越しました。
勉強は不得意だったピカソですが、絵に関しては小さいころから天才の片鱗を見せ、その才能に驚いた父は、2度と絵筆をとらなくなってしまったそうです。
14歳で、父が大学教授を務めるバルセロナのラ・ロンハ美術学校(Escuela de la Lonja )に入学し、その後、16歳でマドリード(Madrid)の王立サン・フェルナンド美術アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)へ。
病気でバルセロナに戻ったピカソは、バルセロナの芸術家との交流の時期を経て、1900年にパリへと旅立ちます。
時代別の作風
ピカソの作風は、カメレオンのように時代ごとに変貌を遂げたことで知られています。
・一緒にパリへ向かった友人の自殺に衝撃を受けて始まった「青の時代」(1901~1904年ころ)
・恋人ができ、明るい色調でアルルカン(Arlequin,道化役者)などを描いた「バラ色の時代」(1904~1906年ころ)
・アフリカの彫刻や仮面に影響を受けて、立方体(キューブ)で画面を構成した「キュビスム」(Cubisme)の時代(1907~1915年ころ)
(ピカソは、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)と共に、キュビスムの創始者として知られています。)
・ロシア人バレリーナの妻オルガ(Olga)と暮らし、古典的で具象的な絵を描いた「新古典主義」の時代(1917~1924年ころ)
・目に見えるままの現実でなく、超現実を描いた「シュールレアリスム」(Surréalisme)の時代(1925~1926年ころ)
・ドイツのゲルニカ爆撃に衝撃を受けて、作品を描いた「ゲルニカ」(Guernica)の時代(1937年)
大まかに、このような変遷をたどりました。
ピカソは多作で知られ、1973年に92歳で亡くなるまで、10万点以上の油絵やデッサン、300点以上の彫刻や陶器など、非常に多くの作品を残しました。
ピカソの代表作
アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d'Avignon)
引用元 http://art-picasso.com/1931.html
キュビスムで、バルセロナにあるアヴィニョン通り(Carrer d'Avinyó)の娼婦たちを描いた。
ゲルニカ
引用元 http://art-picasso.com/1931.html
ゲルニカ爆撃後、約1ヶ月で完成させ、パリ万国博覧会(Expositions universelles de Paris)のスペイン館(Pavillon de l'Espagne)に展示された。
泣く女(Weeping Woman)
引用元 http://art-picasso.com/1931.html
1937年当時の愛人だった、写真家ドラ・マール(Dora Maar)をモデルにした。
などがあります。
スペインでピカソ作品が見られるスポット
フランコ(Franco)独裁体制に反対し、1937年以降、公式にはスペインを訪れたことがないピカソ。
ですが、出身地であるスペインには、ピカソ作品が見られるスポットが複数あります。
今回は有名な都市を中心に、ご紹介したいと思います。
バルセロナ
ピカソ美術館(Museu Picasso)
引用元 http://www.bcn.cat/museupicasso/es/museo/presentacion.html
バルセロナのゴシック地区にある、ピカソ作品を常設展示する美術館です。
15世紀に建てられた、ゴシック様式のベレンゲ-ル・ダギラ-ル宮殿(Berenguer d’Aguilar Palace)を改装し、1963年にオープンしました。
ピカソ美術館では、ピカソの友人で秘書だったハイメ・サバルテス(Jaume Sabartés)のコレクションやピカソが寄贈した作品など、4,000点以上のコレクションを所蔵。
・ラ・ロンハ美術学校時代に描いた「初聖体拝領」(Primera Comunió)、「科学と慈愛」(Ciencia y Caridad)
・ベラスケス(Velázquez)の作品を独自に解釈した「ラス・メニーナス」(Las Meninas)の連作
・子どものころ、父と一緒に描いていた鳩をモチーフにした「鳩」(Los pichones)
などが見どころです。
カタルーニャ建築士会会館(Col·legi d'Arquitectes de Catalunya, COAC)の壁画
ピカソは、友人のブスケッツ(Busquets)の依頼で、カテドラル(Catedral)前のノバ広場(Plaça Nova)に面して建つカタルーニャ建築士会会館の砂岩壁をスクラッチし、ペルシャ風の落書きを描きました。
マラガ
ピカソ美術館(Museo Picasso Málaga)
引用元 https://www.museopicassomalaga.org/arquitectura
16世紀に、ルネッサンス様式(Renacentistas)とムデハル様式(Mudéjares)をミックスして建てられたブエナビスタ宮殿(Palacio de Buenavista)を利用した美術館です。
地下には、紀元前 7 世紀~6世紀のフェニキアの遺跡、3世紀~5世紀のローマ遺跡も残されています。
ピカソ美術館は、ピカソの長男パウロ(Paul)の妻だったクリスティ-ヌ・ルイス・ピカソ(Christine Ruiz-Picasso)と孫のベルナ-ル(Bernard Ruiz-Picasso)が寄贈した、約180点のコレクションをもとに、2003年にオープンしました。
現在は約230点に増えた常設作品以外に、数年に1回、ベルナ-ルと妻アルミネ(Almine)の運営するアート財団がピカソ作品を展示替えするので、リピーターでも楽しめます。
キュビスムから1970年代の絵画まで、幅広い年代の作品を鑑賞することができる美術館です。
ピカソの生家美術館(Museo Casa Natal Picasso)
ピカソが、生まれた時から1884年まで住んでいた、「カサス・デ・カンポス」(Casas de Campos)の中にある美術館です。ピカソの家族は、この建物の2階に住んでいました。
1988年にオープンしたピカソの生家美術館は、ピカソが1940~1946年の間に制作した34点の陶器、1930~1960年の間に制作した約240点の版画をはじめ、約200人による約4,000点のコレクションを所蔵しています。その中には、父ホセ(José)の作品も含まれています。
ピカソが制作した「フランコの夢と嘘」(Sueño y mentira de Franco)というエッチングや「アヴィニョンの娘たち」の制作前にドローイングしたノートなどが、この美術館の見どころです。
建物の向かいに広がるメルセー広場には、ピカソの像と記念写真を撮れるベンチもあります。
マドリード
ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)
1980年代までの現代アートのコレクションが充実した、1990年オープンの美術館です。
ダリ(Salvador Dalí)やミロ(Joan Miró)などスペイン人の作品を中心に、1万8000点の作品を所蔵しています。
美術館の名は、前国王フアン・カルロス1世(Juan Carlos I)の妃であるソフィア(Sofía)王妃の名にちなんで命名されました。
ソフィア王妃芸術センターは、18世紀にフランチェスコ・サバティーニ(Francesco Sabatini)により建てられた本館とジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)が設計し、2005年にオープンした新館からなります。
「ゲルニカ」は本館2階の206に展示されています。
今までご紹介してきた以外に、スペインでピカソ作品が見られるスポットとしては、
ピカソの理容師で友人だったエウヘニオ・アリアス(Eugenio Arias)が、故郷に寄贈した71点のコレクションを展示する、マドリード州ブイトラゴ・デ・ロソヤ(Buitrago de Lozoya)のピカソ美術館(Museo Picasso)
などがあります。
バルセロナ時代のピカソが常連だったお店
ピカソ作品を見にバルセロナを訪れるならば、ぜひ立ち寄っていただきたいのがクアトラ・ガッツ(Els Quatre Gats)です。
カタルーニャ版アールヌーボー(Art nouveau)といわれるモデルニスモ(Modernisme)運動の中心地だったビアホールで、パリのキャバレー「黒猫」(Chat noir)をモデルにして、1897年に開店しました。
ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)が設計したカサ・マルティ(Casa Martí)の1階にあります。
お店をオープンしたのは、画家のサンティアゴ・ルシニョール(Santiago Rusiñol)、ラモン・カザス(Ramon Casas)、画家兼美術評論家のミケル・ウトリーヨ(Miquel Utrillo)、経営担当のペラ・ルメウ(Pere Romeu)の4人です。
ウトリーヨはフランス語読みではユトリロで、モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)の戸籍上の父親として知られています。
ピカソはこのお店の常連で、メニューの表紙絵やポスター、絵葉書を描いたり、はじめての個展を開催したりしました。
クアトラ・ガッツは10年も経たずに閉店してしまうのですが、1981年にピカソ生誕100年を記念して、同じ場所に再オープンしました。
現在のオーナーは以前のオーナーとは関わりがありませんが、カザスがルメウと共に自転車に乗っているシーンを描いた「タンデム自転車に乗るラモン・カザスとペラ・ルメウ」(Ramon Casas i Pere Romeu en un tàndem)という絵画の複製が、今も当時のように飾られています。
(原画は、カタルーニャ美術館(Museu Nacional d'Art de Catalunya)が所蔵)
今は店内がレストランとカフェに分かれていて、カフェコーナーでしたら、1人でふらっと立ち寄るのにもぴったりです。
トースト(tostada/トスターダ)メニューが充実しているので、グラスワイン(vinos por copas/ビノス・ポル・コパス)やカヴァ(Cava)と一緒に注文してみるのも良いかもしれません。
ピカソが描いたワインラベル
多作で知られるピカソは、フランス(France)・ボルドー(Bordeaux)にある、シャトームートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)の1973年のワインラベルの絵も手掛けました。
過去の作品をワインラベルに使っていいかどうか交渉中にピカソは亡くなり、1959年に描かれた「バッカナール」(Baccanale)という絵がワインラベルに選ばれました。
ピカソは、ローマ神話に登場する酒と収穫の神・バッカス(Bacchus=ギリシャ神話のディオニュソス, Dionysos)のためのお祭り「バッカナール」を、しばしばモチーフにしたそうです。
ラベルには、en hommage à Picasso(「ピカソに敬意を表して」)という文字も書かれています。
このワインラベルは、ダリやミロなど有名画家の作品と一緒に、2013年から醸造庫に隣接する常設アートスペースで展示されています。
まとめ
ピカソは、出身地のスペインよりもフランスに住んでいた期間が圧倒的に長く、1936年以降はスペインの土を踏んでいません。
しかし、1968年ころからは、ヨットに乗り、お忍びでマラガを訪れていたそうです。
ピカソが愛したスペインには、ピカソゆかりの地が、他にもまだまだあります。
ピカソゆかりの地を巡りながら、その土地ならではのワインを飲み比べてみるのも楽しいかもしれませんね。